二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

演技がよすぎる

2016年01月12日 18時48分08秒 | ニ言瓦版
武田勝頼の役は、よすぎる。
主役のより、旨い。
主役の配役の間違えかもしれない。

没落する武田の頭首に、見えない。




「10日にスタートした俳優・堺雅人主演のNHK大河ドラマ「真田丸」の初回視聴率が19・9%で好発進したことが12日、ビデオリサーチの調べで分かった。第1回「船出」では、武田信玄の急死から9年後、滅亡前夜の武田家の混乱が描かれた中、俳優・平岳大演じる武田勝頼の悲哀に満ちた好演が話題に。ツイッターには放送後から「初回MVP」「勝頼泣けた」「格好よすぎる」など1万6000件を超える賞賛の投稿が相次いでいる。

 武田勝頼はこれまで歴史ドラマなどで、偉大な父信玄の築いた隆盛を継承できなかった人物として、評価の低い描かれ方が多かった。また他武将を主人公にした作品では、織田・徳川軍に大敗した長篠合戦後の滅亡までが詳細に描かれることも少なかった。

 一方「真田丸」では、勝頼が家臣の離反や裏切りを静かに受け止めながら、最後まで武田家を支えようとした真田家に生き延びるための道筋をつけるなど、やさしく、品格の高い人物として描かれた。」



考えると、篤姫のときも、よかった。平岳大氏の演技。
徳川の最後の将軍の姿は、よすぎた、潔白と、綺麗さがあった。
逆に、あの時と、変わらないのは、
堺雅人氏と、平岳大氏の演技。
何か、演技が、対照的に、真田一族は、あんなに、酷いのかと、思うものだ。

武田家の演技、真田家の演技は、篤姫のときより、体たらくの演技。


大河ドラマの武田信玄の延長のように、できないのかと、問われる演技。
武田勝頼が、よすぎて、なんで、没落するのかと、思う演技。

徳川幕府の崩壊のときも、同じに見える。


本当、説明と、武田勝頼を主役に、十話ぐらい、物語させれば、
面白い。
武田信玄と、真田一族の関係が、子役から、説明していくのが、
いいのに、解らな一話でも、
勝頼は、いい。演技が、よすぎる。


前にも書いたが、天正10年、二月、六月、この違いが、
運命かもしれない。
信長が、6月に死んでいる。勝頼が、二月死んでいる。

あの世に、行くと三途の川の渡しで、
信長と、勝頼が、三途の川で、待っているかもしれない、
二人で、話しているかもしれない。

二月に死ななかったら、生き延びたかもしれない、
多分、生き延びるいたら、武田一族は、存続したかもしれない。
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古い車が、売れるのか、2

2016年01月12日 18時34分46秒 | ニ言瓦版
2



「また、クルマの素性的には問題なくても、改造されていたり、コンディションが悪かったりする場合には、フェラーリ・クラシケが、オリジナルの状態に復元することを引き受ける。これはビジネスとしてもかなり利益率が高い。なぜなら、ほとんどフェラーリ・クラシケの「言い値」で作業は行われるからである。

このようなフェラーリの取り組みによって、元々高かったフェラーリのクラシックカーの価値はさらに上がる。価値が上がれば、それに気を良くしてさらにオーナーはクルマの状態をよくするために整備やレストア(復元)に力を入れるから、市場にあるクルマの状態もますます良くなる。

そして、それまであまり人気のなかったモデルのフェラーリの相場も引っ張られて上がって行く。結果的にこれらの動きは現在販売しているフェラーリの新車の価格を上昇させる大義名分まで作りあげてくれる。

記事冒頭に登場した「250 GT SWBカリフォルニア スパイダー」は、何十年もの間、フランスの片田舎の納屋に忘れさられ、埃がうずたかく積もった状態で発見された59台のコレクションのうちの1台だ。

こういう案件をこの世界では「納屋モノ」と称す。クラシックカーはピカピカな状態に復元されたコンクールコンディションのクルマも評価が高いが、この「納屋モノ」のような「Preserved condition(プリザーブド コンディション)、つまり復元なしに新車のまま維持され続けた個体も、大いに価値がある。こういったヒストリーやそのクルマのかつてのオーナーの名前によっても付加価値がつくのがクラシックカーの世界だ。このクルマ達の保存状況がYoutubeで楽しむことができる。




もうひとつの要因はオークションハウスの興隆である。

オークションを利用したクラシックカーの取引が近年増加し、オークショ
ンを執り行うオークションハウスがクラシックカーの相場を作っている。オークションハウスはカーコレクションを持ったオーナーが亡くなれば、膨大なコレクションを抱え困っている遺族たちから遺産であるクルマを預かってくる。はたまた漠然とした情報を頼りに隠されていたクルマとそのオーナーを探し当てて、オークション出品を勧めたりもする。

その預かったクルマたちをレストアし、ヒストリーを調べ、その裏を取る。そしてめでたくオークションに出品。高値で次のオーナーに渡ればその整備や保管も請け負う。そしてそのオーナーがまた手放す機会を虎視眈々と待ち続ける。

■オープンな取引でリスクも少ない
今まで行われていた個人間における取引や、ブローカーによるクローズドで行われた取引が一気にオープンとなったワケだ。今まではクルマを入手することひとつとっても大仕事だった。怪しげなブローカーに騙され、偽物を掴まされはしないかビクビクしながら交渉を進めなければならないし、お金を払ったはいいが、届いたコンテナを開けて見るならクルマとも思えぬ鉄くずが鎮座していた、なんてことは珍しくもなかった。その道のプロですら騙されるようなリスキーさだったから、とても売買を楽しむどころではなかった。

ところが近年はオークションハウス達がしっかりと情報を公開する。たとえば、1967年製ランボルギーニ・ミウラ、シャーシナンバー305xは3人目のオーナーが長年所有しており、2002年に5万ドルを投じて、イタリア・モデナのスペシャリストの手によってレストアされた。その予想落札価格は1億~1億2000万円にも上る、というところまでレポートしてくれるのだ。

また、世界の名だたるクルマのイベント、コンクールデレガンスなど、「好き者」が集まる場にて頻繁に開催されるオークションはその敷居も低くなり、白熱した入札合戦を楽しむという「観戦エンターテインメント」としても人気だ。その場に行けない顧客のために、かつては電話による代理入札が行われていたが、今は当然、ネットにおいてリアルタイムで中継され、入札も簡単になっている。

オークションハウスはクラシックカーの総合的サービスを世界レベルで請け負うから、古い歴史を持つクラシックカー・ディーラーも、ブローカーたちの商売が成り立たなくなる。

ほんの少し前までは、ローカルな情報網をベースに密室で行われていたクラシックカーの売買は大きく変貌を遂げ、世界規模のマーケットとなった。「お金持ちの道楽だ」と、いってしまえばそれまでだが、中には100万円台の出展車もある。自前で綺麗にレストアし、資産運用しながら楽しむ手もあるかもしれない。

■フェラーリの大きな戦略が活性化につながった

『フェラーリが強気に値上げしても売れる理由』という記事を先日書かせて頂いたが、フェラーリのクラシックカービジネスへの積極的なコミットは同社が行っているF1ビジネスと共にブランドの価値を高める大きな戦略である。そのフェラーリと共にオークションハウスが行った取引の透明化による顧客の拡大がうまくマッチし、クラシックカー・マーケットが活性化されることとなったのだ。




古い車は、必要なことは、映画も、いろいろなテレビドラマも、必要なことかもしれない。

いや、価値があるのは、本当は、違う評価かもしれない。

建物も、そうかもしれない。
考えると、なんで、昭和の東京五輪の建物、壊して、建て替えるのは、
大きな、価値の損失なのかもしれない。

今に、後悔することが、後々、あることかもしれない。
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古い車が売れる1

2016年01月12日 18時28分20秒 | ニ言瓦版
古いのが、売れるのか、車も。
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「961年、日本の年号でいえば昭和36年生まれの人は、今年の誕生日で満55歳を迎える。高齢者と呼ぶにはまだ早いものの、役職定年を迎えて子どもも独立しているような人もいるような中高年世代だ。その彼らと同じ年に製造された自動車に、20億円前後の値札が付くといったら驚く人は少なくないのではないだろうか。業界用語で表現すれば「55年落ち」の中古車、いや旧車にである。

■仏オークションでは、約21億円の高値に

昨年2月、フランスで開かれたクラシックカーのオークション。そこに出品された1961年製の「250 GT SWBカリフォルニア スパイダー」と呼ばれるスポーツカーが1630万ユーロで落札された。しかも、ピカピカに輝かれチリひとつない滑らかなレザーに包まれたインテリア……を備えているワケでもなく、塗装もはがれ、ボディも傷だらけだったにもかかわらず、直近レートで換算して約21億円という、とんでもない価格で取引された。

この車をつくったのは、あのフェラーリである。新車でも数千万円以上の価格で販売されるフェラーリは、クラシックカーにおいても圧倒的な強さを見せている。

世界中のカーオークションにおける出品・落札データをまとめているイタリア在住のアドルフォ・オルシJr氏によれば、2014年9月~2015年8月の1年間に、世界中のカーオークションで出品されたクラシックカーの落札価格トップ10の7台、トップ100のうち52台をフェラーリが占めた。歴代落札価格の最高記録も当然フェラーリだ。2014年8月に米国・モントレーで行われたオークションで、1962年製のフェラーリ「250GTO」が3800万ドル(約36億円)で落札された。


フェラーリを中心に、クラシックカー市場はかつてない規模まで拡大している。前出のオルシJr氏によると、直近の集計である2014年9月~2015年8月の1年間は主要オークションにおける取引金額が初めて10億ユーロ(約1200億円)を超えた。20年前と比較すると25倍前後まで膨らんでいる。

■株や絵画よりも投資価値が上がっているクラシックカー

あるクラシックカーの価格は、この10年で5倍以上になったという。筆者の周辺のフェラーリオーナーに聞いても、保有しているフェラーリの中古価格が5年ぐらいで5倍ほどになっている事例もある。絵画やアンティーク家具のような昔からの定番コレクションが、逆に値崩れしているにも関わらず、もはやフェラーリをはじめとするクラシックカーは金融商品のような側面も持ち合わせている。最近のプライベートバンクやファイナンシャル・コンサルタントが「株や絵画に投資するよりもフェラーリのクラシックカーに投資するほうが、リスクも少なく安心だ」とあおるぐらいだ。クラシックカー市場が大きく伸び始めたのは2000年初頭。スーパーカーの新車マーケットが大幅に落ち込んだリーマンショック直後も、クラシックカー市場は伸びが鈍り、成長が少し停滞したぐらいだった。その後は右肩上がりで拡大してきている。今年は年明けから世界の株価や原油相場が下落するなどリスクマネーの収縮もみられるものの、クラシックカー市場においては、これまでの流れは大きく変わらないだろうという予測が、関係者の間で飛び交っている。

クラシックカー市場が拡大している要因は大きく2つある。ひとつは「キング・オブ・スーパーカー」であるフェラーリのブランド戦略だ。

創業者エンツォ・フェラーリの神話と、モータースポーツの頂点でもあるF1でのヒストリーをバックボーンに、ブランドの希少性を高めていったフェラーリは他の自動車メーカーに先駆けてクラシック・フェラーリの価値向上のための施策を手掛けた。

フェラーリ社が「価値あるクラシックカーとしての認定制度 フェラーリ・クラシケ」(クラシケ=クラシックの伊語)を設けたのは2006年のこと。その認定を受けたいオーナーはイタリアのマラネッロにあるフェラーリ本社のフェラーリ・クラシケ部門か、もしくは世界中にあるフェラーリディーラーへ行き、認定審査を依頼する。

すると、クルマごとに決められているポイントがチェックされ、そのクルマが生産された時と同じ状態のオリジナルを保ち、かつ、各部が正常に機能しているかが判断される。そしてそれらがフェラーリ・クラシケの基準に達していれば、フェラーリ社はそのクルマが「ホンモノ」であることを証明するのだ。

クラシックカー、特にレースカーは、そのホンモノという解釈が難しい場合が時としてある。レースでは事故がつきものなので、スペアエンジンやスペアフレームなどがメーカーから供給される。その予備パーツを使ってもう一台同じクルマを作ることもそう難しいことはない。

その“ホンモノ”であるよりどころは、そのクルマが歩んできた歴史と、フレーム部に刻印された固有のシャーシナンバーなのであるが、スペアのフレームに同じシャーシナンバーが悪意で刻まれたら、どうだろうか。

そういうグレーな状況が生まれたとき、フェラーリ・クラシケは、その真贋の判断を行い、白黒をはっきりさせる役割を果たすのだ。ここでクラシックカーを持つリスクのひとつであるフェイク(偽物)や記録の混同によるトラブルを排除でき、より安心してフェラーリのコレクションを行える。

■フェラーリの取り組みが、さらに価値を上げる要因に」


日本が、おかしいのかもしれない。
価値があるのは、新車ではなく、古い車。
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2

2016年01月12日 10時55分42秒 | ニ言瓦版
この調べたこと。
見ると、織田信長は、天正10年の6月亡くなっている。
武田勝頼は、二月亡くなっている。


「勝頼の死と武田氏滅亡[編集]

天正10年(1582年)2月には、信玄の娘婿で外戚の木曾義昌が新府城築城のための負担増大への不満から織田信長に寝返る。勝頼は外戚の義昌の反逆に激怒し、人質を惨殺した上で即座に木曾討伐の軍勢を送り出した。しかし雪に阻まれ進軍は困難を極め、地理に詳しい木曽軍に翻弄された。その間に織田信忠が伊奈方面から、金森長近が飛騨国から、徳川家康が駿河国から、北条氏直が関東及び伊豆国から武田領に侵攻してくる(甲州征伐)。そして勝頼にとって間の悪いことに、織田軍の侵攻の始まった2月14日に浅間山が噴火した[13]。 当時、浅間山の噴火は東国で異変が起こる前兆だと考えられており[14]、さらに噴火のタイミングが朝敵指名および織田軍侵攻と重なってしまったために、武田軍は大いに動揺してしまったと考えられる[15]。

これらの侵攻に対して武田軍では組織的な抵抗ができなかった。勝頼の叔父・信廉は在城する対織田・徳川防戦の要であった大島城を捨て甲斐に敗走し、信濃伊那城においては織田軍が迫ってくると城主・下条信氏が家老によって追放され、織田軍を自ら迎え入れてしまった。信濃松尾城主の小笠原信嶺、駿河田中城主の依田信蕃らも織田・徳川連合軍の侵攻を前に戦わずして降伏する。さらに武田一族の重鎮である穴山信君までも勝頼を見限り、徳川家康を介して織田信長に服属を誓った。これにより武田氏に属する国人衆は大きく動揺する。

勝頼、信勝、北条夫人の墓(景徳院境内)
この情報に接した武田軍の将兵は人間不信を起こし、疑心暗鬼に苛まれた将兵は勝頼を見捨て、隙を見ては次々と逃げ出したのである。唯一、抵抗らしい抵抗を見せたのは勝頼の弟である仁科盛信が籠城する高遠城だけであった。また母の実家である諏訪家の一門・諏訪頼豊は「勝頼から冷遇されていた」と言われているにも関わらず、甲州征伐に乗じて諏訪家再興をしようとする家臣の意見を聞かずに鳥居峠の戦いで戦死している。

同年3月、勝頼は未完成の新府城に放火して逃亡した。勝頼は小山田信茂の居城である岩殿城に逃げようとした。しかし、信茂は織田信長に投降することに方針を変換し、勝頼は進路をふさがれた。後方からは滝川一益の追手に追われ、逃げ場所が無いことを悟った勝頼一行は武田氏ゆかりの地である天目山棲雲寺を目指した。

しかし、その途上の田野でついに追手に捕捉され、嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに自害した(天目山の戦い)。享年37。これによって、450年の歴史を誇る名門・甲斐武田氏は滅亡した。

辞世は「おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは 」。」



考えると、物語は、無理な気がする。
織田の策謀で、消滅したのかももしれない。
豊臣秀吉の策謀か、織田信長の策謀か。
天正十年は、淘汰の時代。


何か、武田滅亡は、どこかの、国の似ている。
初代の武田のと、二代目の親は、排斥、そして、三代目で、配下の裏切りか、処分。

大店で、三代目で、倒産の一つの例かもしない。
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期待しない、面白くない。1

2016年01月12日 10時23分43秒 | ニ言瓦版
去年の大河より、いいのか、
それにしても、あんなに、NHK、cmしているのに、
19%は、よくない。



「俳優の堺雅人(42)が主演を務めるNHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)が10日にスタートし、初回の平均視聴率は19・9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが12日、分かった。


 2013年「八重の桜」(21・4%)以来の“大台”発進はならなかったが、14年「軍師官兵衛」の初回18・9%、15年「花燃ゆ」の初回16・7%を上回った。第2話以降の大台超えが期待される。

 大河ドラマ55作目。戦国時代最後の名将・真田幸村=本名・真田信繁(のぶしげ)の生涯を描く。ヒットメーカー・三谷幸喜氏(54)が「新選組!」(2004年)以来、2度目の大河脚本。タイトルの「真田丸」は大坂冬の陣で信繁が築いた最強の砦。同時に、家族の物語として一艘の船に例えた。演出は木村隆文氏ほか。

 第1話は「船出」。天正10年(1582年)2月。名将・武田信玄(林邦史朗)の急死から9年、武田家は当主・勝頼(平岳大)の下、絶体絶命の危機を迎えていた。重臣の裏切りをきっかけに織田信長(吉田鋼太郎)の大軍勢が領内に侵攻。諸城が次々に陥落する事態に陥る。

 武田に使える真田昌幸(草刈正雄)は上野国にある自らの居城・岩櫃城で織田を迎え討つよう進言し、準備のため一足先に出発。残された昌幸の息子、兄・信幸(大泉洋)弟・信繁(堺)を、勝頼が人目を忍んで訪れ「岩櫃には行かない」と告げる。甲斐の岩殿城へ逃げる武田の本隊と別れ、父の待つ岩櫃に向かう兄弟。敵が目前に迫る中、家族を守りながらの決死行が始まる…という展開だった。」



初回の内容は、意味不明である。
時代設定と、説明がない。


不思議なのは、なぜ、子役から、物語展開しなかったのか。
武田信玄の説明することが、なぜ、武田に、配下になったか、それから説明しないと。
武田信玄、上杉謙信、信長を説明から、時代設定と、
なんで、武田勝頼は、消えていく過程が、一話で、足りない。

何か、真田昌幸が、前半の話が、一番の話。
武田信玄と真田昌幸の関係が、解らない。

結局、真田昌幸と、武田信玄の死から、戦国の図が変わったこと、説明が大切。


解らない、ドラマになっていく。
八重の桜、清盛、と、酷い視聴率が、先行き、あるような気がする。

武田の没落の話なのか、分からない一話である。


調べてみると。
織田信長が、
天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。

天正10年。


大河ドラマは、ここからなのか。
不思議である。

天正10年は、不運なこと。
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