二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

短く太くか、細く長くか、

2016年01月11日 23時31分44秒 | ニ言瓦版
 凄い、一度、売れると、それは、やめられない。
どんなブス、美人でも、稼ぐ額が違う。
芸能界で、売れると、富が得られる。



「テレビ業界は斜陽だが、テレビタレントの稼ぎは相変わらず一般人とは比べ物にならない。特に芸人はテレビ出演で有名になれば、地方営業で稼ぎ続けていくことが出来、たとえ一発屋と揶揄されようとも安定した収入を得られるという。また、昨年ブレイクしたとにかく明るい安村は、昨年1月の月収4万円から、5月には50万円台に跳ね上がり、現在は月100万はくだらないというほどだ。その稼ぎぶりに男女の別はないようで、中堅以上の売れっ子女性芸人たちは安村の比ではない収入を得ている。

 たとえば1月5日に放送された『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)で、渡辺直美(28)は、「2日に1回、通販で7~8万円分の洋服を買う」「洋服にかけるお金は月に100万円程度」と明かし、視聴者を驚かせた。

 渡辺は以前、テレビ出演時に自宅マンションの家賃が53万円で、1泊20万円のホテルに泊まるのが趣味だと話していたこともある。一方、浪費癖があり貯金ができないとぼやいていたこともあるが、それでも変わらず乱費し続けられるということは、よっぽどの収入があるのだろう。彼女はアパレルブランド「PUNYUS」のプロデュースもしており、本業以外の収入もあるのが強みともいえる。

 さらに7日の『ナカイの窓』(前同)ではお笑いコンビ・ハリセンボンの近藤春菜(32)の特集企画「春菜を知る人SP」が放送され、近藤と付き合いのある業界関係者や芸能人が出演。その際、近藤の自宅が豪華だという話題になり、近藤宅を訪れた友人からは「超高級住宅地」「エントランスに庭がある」との証言も。近藤は中居にのみ自宅の賃料を耳打ち。中居が「これは言えない! その金額なら広さは100平米以上あるでしょ?」などと驚くほどのお値段であった。ちなみに都内にある100平米以上のマンションの家賃は安くても30万円以上というところが多いが、一等地のハイグレードマンションになれば200万以上の物件も。近藤自身「正直ちょっと無理している」というだけに、少なくとも100万クラス以上の物件かもしれない。そうした物件の場合、基本的にリビングの広さは30畳を超す。

 毎日のようにテレビで見かける売れっ子の近藤は、2012年上半期で「番組出演本数」ランキング首位に輝いてからというもの、2015年上半期まで安定して上位に食い込んでおり、年収1億超えも固いクラスのタレントだといわれている。近藤クラスならば、それだけ高いマンションに住んでいても違和感は少ない。」



考えると、事務所、芸能事務所しだいかもしれない。
大手の芸能事務所も、いいのか、悪いのか、
仕事が、得る、使えるから、仕事が得られる。
軽率なのは、事務所を選ぶの間違えるか、事務所から、独立して、売れなくなるか。

問題は、売れなくなったとき、どんな、待遇と、処分か。

何か、個人商店のように、自立していると、倒産、
大きな組織にいると、生き延びるが、処分の時期は、売れなくなる。


28才、32才は、これから、芸のあるのか、問われるのは、家賃の借りるより、自立する
生活が問われるかもしれない。

若い時に、富を築き、没落するのは、この業界の成れの果て。

晩年の死んだ俳優、タレントは、没落する過程が、多い。
日々、売れないと、終わるのが、タレント、俳優、女優、アナかもしれない。
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泣ける。

2016年01月11日 14時18分23秒 | ニ言瓦版
昨日の「ダーウィンが来た!」は、サルは、立派だ。
二人の子ザルを育てる。
カラオケは、立派である。



「たくさんのニホンザルが暮らす、大分県の高崎山で、
今話題のお母さんザルについてもご紹介します。
お母さんザルの名は「カラオケ」。
このお母さんザル、自らの子どもの他に、育児放棄された子を

自ら引き取って分け隔てなく育てているんですよ。
通常ニホンザルが育てる子どもは1匹だけ。
他人の子まで育てることは異例中の異例なんです。
はい。2匹の子育ては、とにかく苦労の連続です。

果たして2匹の子は無事に育つのか!

「驚き!感動!サル大特集」

1月10日(日)、よる7:30~、総合テレビでの放送。
お楽しみに!」



高崎山のカラオケというサルの特集は、短い時間に短縮したが、
勿体ないことだ。
一時間か、取材の過程と、いろいろ、子供を育てる。
他人の子と自分の子の分け隔てなく育ている場面は、
泣ける。

サルの子供も、性格が違う、母親から離れない子供、すぐに、どこかに行ってしまう子供。

可愛そうなのは、群れでも、苛めがある。
カラオケが、他の群れから、攻撃されるが、子供が、帰ってこないから、その場にいるから、攻撃される、それでも、いる母親の心境のカラオケ、泣ける。
バカの子供が、帰ってこないから待つしかない。
やっと帰ってきたとき、すぐに、その場、消えていく、三人。
よく、撮ったものだ。
芸術作品になるくらい、凄い記録である。


もう一度、高崎山のカラオケの特集してほしい。
いや、親、子供は、地域には、必要ことかもしれない。


苛めの中でも、生きるしかないのだ。
動物は。
食、得るの戦い、二人分の乳出すため、立派である。


去年の記事、朝日新聞にあった。2015

「高崎山自然動物園(大分市神崎)で、母親に見放された子ザルを引き取り、わが子と一緒に育てているメスザルがいる。双子を産むことがめったにないニホンザルにとっては、2匹同時に子育てをすること自体が極めて珍しい。「奇跡の母ザル」は、優しいまなざしで分け隔てのない愛情を注いでいる。

 野生のニホンザルを間近に見ることができる高崎山。始まりは、今年の5月28日だった。

 サルたちにエサを与えて遊ばせる「寄せ場」で、生後2日目の子ザルが置き去りにされているのを飼育員の江川順子さん(40)が見つけた。まだ目も見えず、鳴きながら手足をむなしく宙に振っていたという。

 飼育員が近づこうとすると、群れのナンバー2のオス「マクレーン」が赤ちゃんを守ろうと威嚇し、近づかせない。このままでは衰弱死を待つしかない状態だった。

 そこに現れたのが、自分の子を産んだばかりの「カラオケ」だった。様子をしばらく見ていたが、わが子を抱えながらおもむろに歩み寄り、放置された子ザルを抱き上げた。そして、2匹を脇に抱えて山中に帰っていった。その後、分け隔てなく2匹にお乳をやる様子が見られるようになった。

 カラオケは推定9歳で、人間になぞらえると20代後半だという。出産、育児をすでに数回経験している「ベテランママ」だ。昔から仲良しのマクレーンに守られ、群れでは中心にいる存在だという。」


この記事から、NHKは、取材したのか、それより、前か。

人間の親、子供、問われる、サルのが、立派である。
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選び方と、部門、文化、理数も、最後は、応用。

2016年01月11日 14時01分21秒 | ニ言瓦版
考えると、学校出て、こういう、ところに、就職すると、いろいろ、将来は、見える。
学んで応用がないと、難しいことかもしれない。

学校時代は、記憶だけでは、使えない。



「埼玉県所沢市。閑静な住宅街を歩いていると、目の前に不思議な建物が現れる。外壁はモノトーンで看板はない。ここが大手メーカーの”駆け込み寺”として躍進中の金属加工メーカー「井口一世」だ。

社員27人。直近の売上高は71億円(2015年3月期)。年10~15%のペースで着実に成長を続けており、今や顧客は海外にも広がる。創業は2001年で社名の「井口一世」は実は社長のフルネームだ。井口社長は「これなら逃げも隠れもできません」と笑うが、確かに一度この社名を耳にすれば誰もが忘れない。会社の成長を支えてきたのは、そんなユニークな発想だ。

■ヨソにできないことがたくさんある

金属製品の大量生産には金型によるプレス加工が適しているが、実は金型の製造には高いコストがかかる。たとえばコピー機1台の金型を作る費用は約30億円だ。

それでも多くの金属製品で金型が必要とされてきたのは、安定した品質を保つのにベストな方法とされてきたため。ところが井口一世では、これまで金型を使って製造していた金属製品を「金型レス(金型なし)」で作り上げることができる。

それが”駆け込み寺”と呼ばれるゆえんだ。金型がなければ設計変更にも柔軟に対応できるし、少量生産品や試作品もコストを大幅に抑えて製造できる。修理部品の生産にも一役買っている。メーカーは販売を終了した製品でも、家電は7年、自動車なら15年もの間、修理部品を供給する義務がある。そのため、金型もメンテナンスしながら保管しておかなくてはならない。コピー機なら2000~3000点、自動車でも数万点におよぶ部品在庫とその金型の管理に膨大なコストをかけていたのだ。だが、「うちなら金型なしでも作れますから『量産した金型は捨てちゃってください』と言っている」(井口社長)。

金型レスだけではない。スマホの筐体などは材料を工作機械で削って複雑な形状に加工するが、材料の歩留まりが悪いうえ時間もかかる。井口一世ではこうして製造していた金属製品も「切削レス(切削なし)」で作ることができる。

「金型レス」「切削レス」を可能にしたのは、高精度の板金加工だ。金属の板を寸分のズレもなく、切ったり、曲げたり、穴を開けたりして加工する。素材や厚さにかかわらず「寸分のズレもなく」というのが井口一世ならではだ。本来、職人の勘や経験によるところだった暗黙知をすべて数値化し、独自にデータベース化。それを欧州で買い付けた最新鋭の機械に組み込んでいる。井口社長は会議室の中央に置かれたテーブルを見ながらこう説明する。「このくらいのテーブルを作るのに、最新鋭の機械を使ってもおそらく30μくらいの誤差は出る。通常の板金加工ならその10~100倍のズレが生じるだろう。でもうちの機械を使えば、ほとんど誤差は出ない」。

■社名「井口一世」の由来とは

23歳のときに父親が急逝、家業の金型プレス業を継いだ井口社長。ところが当時、国内の金型業界は人件費の安い海外へのシフトが進み、空洞化が進んでいた。このままでは生き残れない。そんなときに行き着いたのが、「金型を使わないものづくり」というまったく反対のアイデアだった。

学生時代からコンピュータが好きで、プログラミングの知識もあった。欧州製の高性能なマシンにITを融合させることで、それが実現できる。2001年に家業を廃業。工場と自宅を売って集めた2億円で機械を購入し、背水の陣を張った。社名の「井口一世」に込められたのは、そのときの覚悟と自信だ。

業界常識を覆す発想とまったく新しい技術――。最初はなかなか信用されなかった。だが、いったん理解を得られればこっちのものだ。ビジネスコンテストの受賞なども重なり、顧客は次々と増えていった。

現在の場所に移転したのは今から約5年前。「うちは製造業というよりIT業です」と井口社長。

「かつての技術者はその人の腕がものをいったが、これからの技術者はビッグデータを解析できる人。優れた技術者はデータサイエンティストでなければいけない」

工場では金属から火花や削りクズが散ることもなければ、油のにおいもいっさいしない。白を貴重としたインテリアの清潔感あふれるオフィスも、従来の製造業のイメージとはほど遠い。「誰もがあこがれるかっこいい製造業にしたかった」との思いがあったからだ。

井口一世にはもっと「製造業」のイメージを覆す事実がある。社員の約8割が女性なのだ。しかも、大半は文系学部出身だ。

同社の武器は、独自のデータベースによってカスタマイズした最新鋭の機械。データを機械に落とし込み、さまざまなケースをすべて蓄積し、その蓄積されたデータを解析しながら、機械を調整するという作業を日常的に行っている。それは試行錯誤の繰り返しで、失敗ケースも貴重なデータだ。だから井口社長は日頃から「機械をいくら壊してもいい。でも自分で修理してね」と伝えている。そこに理系の専門知識は必要ない。むしろ先入観がかえって新しい挑戦を妨げることもある。
製造グループでレーザー加工を担当している入社1年目の丸山理香さんは美術大学の造形学部出身。ものづくりに興味はあったが、機械や金属加工の知識なんてほとんどなかった。が、今や日々大きなレーザーマシンの前に立ち、そのメンテナンスまで行っている。同じく入社1年目の藤澤文郁さんは文学部出身。最初に配属されたのは製造グループで、丸山さんのように機械を扱っていた。現在は購買や海外プロジェクトを担当している。

井口社長が目指すのは「究極の多能工化」だ。たとえば、現在マネジャーを務める鈴木香織さんは、知財戦略を立て、プログラミングや3D CADを使った設計ができて、精密な検査機器も扱い、営業もできる。全社員をこうした多能工に育て上げれば、最強の組織になる。そのために取り入れたのが、新しいスキルを身につけるごとに毎月の給料が上がるシステム。新卒で入社した社員でも、1年間で3回くらいの昇給がある。評価されていることがダイレクトに感じられ、モチベーションにつながっている。

女性だけを意識して採用しているわけではないが、採用時の選考過程を経て結果的に女性ばかりが残ってしまったに過ぎない。「男性には瞬発力があるが一定の質を維持することが苦手な傾向がある。ものづくりには女性のほうが向いているのかもしれない」と井口社長は分析する。女性が働きやすいように、所沢事業所内でいちばん費用をかけたのはなんと女性トイレ。そして、来年度中には事業所内保育施設を開設する予定だ。

■銀座4丁目の地下に工場を

2015年2月には海外案件を扱う子会社を設立した。この子会社では、これまで培ってきた技術を世界でフランチャイズ化するという計画もある。社名は「なんとかなる」。井口一世創業時からのスローガンをそのままつけた。大きな夢もなんとか実現させてしまう勢いが感じられる。

さらに井口社長は笑いながらこう言う。「将来的には銀座4丁目の地下に工場を移転したい」。17時30分に終業すると、男性社員はアルマーニを着込んでクラブに遊びに行き、女性社員はシャネルのスーツに着替えてショッピングを楽しむ。そんな光景にあこがれるのだという。「そのためには社員の給料を1000万円以上に上げられるまでに成長させますよ」

日本のものづくりを時代に沿った新しい形で進化させた技術が、世界中の製造業を変える日はそう遠くないのかもしれない。





銀座の地下に、工場より、どうして、
マイクロソフト、ぐぐるのように、
近くに、大都市つくり、専門の大学、企業地域で作り出すことが、夢にしないのか。
シリコンバレーのように、できないのか。
埼玉県所沢市に、シリコンバレーのような、企業作ることが、いいのだ。
銀座で、飲んで何になるか。官僚、大臣、企業の接待しかないことろではないか。


美術大学の造形学部、美術大学も、職、いろいろ、広がるのが、今日かもしれない。
文科系、芸術、それと、デザインと、機械。

普通の事でいる時代。
昔からの読み書き、算盤の適用では、無理なこと。



職も、食も、安易にところを選ぶと、将来は、野垂れ死に。
面白いことだ。


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いろいろ、最後は、機械。

2016年01月11日 13時57分57秒 | ニ言瓦版
風邪の対策は。機械かもしれない。
薬品の消毒と、除湿。


「風邪やインフルエンザが気になるこの季節、ある加湿器の存在が話題を呼んでいる。胃腸薬「正露丸」で有名な大幸薬品の空間除菌製品「クレベリン」を搭載した加湿器だ。

プライベートブランド製品の企画・製造などを手掛けるドウシシャは大幸薬品と組み、クレベリンの二酸化塩素ガス発生ユニットを搭載した加湿器2種類を2015年10月に発売した。

除菌効果のある二酸化塩素を使った空間除菌製品は従来は据え置き型で、単に安定してガスを放出するだけの製品が主流だった。大幸薬品は「クレベリン」ブランドで販売しており、国内シェア約6割とトップを誇る。

さらなる販売拡大を狙って、加湿器や空気清浄機などの家電製品にガス発生ユニット「クレベリンLED」を搭載し、カートリッジの販売を開始する。

■5年以内に売上高20億円が目標

ユニットの固体部分にLEDの光を照射すると、二酸化塩素ガスが放出されるという仕組みだ。LEDの照射をスイッチで切り替えることで、二酸化塩素ガスの放出をコントロールできる。

第一弾としてドウシシャと組み、二酸化塩素ガスを発生させる加湿器を発売。インフルエンザの流行が本格化するこの時期に、まずは同製品から、販売の拡大を狙っている。

大幸薬品の吉川友貞専務は「韓国、中国企業を含め、家電メーカーを中心に6~7社から製品開発の引き合いがある。今年3月までに2~3社から製品が発売される予定だ」と話す。

今後は、加湿器に続き、ガス発生ユニットとカートリッジを搭載したサーキュレータ(空気循環器)や照明器具などの投入も検討。ガス発生ユニットとカートリッジを、5年以内に売上高20億円の事業に育てる計画だ。

クレベリンLEDには、大幸薬品にとっていくつかのメリットがある。1つは「クレベリン」を中心とする感染管理事業の売り上げの平準化だ。

主力製品の「クレベリン ゲル」は風邪やインフルエンザが流行する冬場に売り上げが偏る傾向がある。家電向けカートリッジ販売であれば、扇風機など夏向けの製品への搭載や定期的なカートリッジ交換によって、年間を通しての販売が見込める。

もう1つは、製品を共同開発した会社が製品の広告宣伝をする中で、クレベリンLEDの広告宣伝もしてくれること。大幸薬品は販促コストをかけずに、クレベリンブランドの認知度を高めることができる。

二酸化塩素はウイルスや細菌の構造を変化させ、機能を低下させる効果を持ち、水道水の消毒にも使われている。」


どうか、面白い。
効果るも、天候かもしれない。
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2016年01月11日 07時19分38秒 | ニ言瓦版
巨人も、いろいろ、元巨人にも、いる。

人生は、野球を早く辞めて、別の道に行くも大切。




「東京・八丁堀のオフィス街に本社を構える建設工事会社。ビル床版工事を中心に請け負う年商90億円企業の代表取締役を務めるのが、松谷竜二郎さん(51)。元巨人の投手である。

「この会社でもう13年。でも、あっという間でしたね」

 88年ドラフト2位で巨人入り。1年目から一軍キャンプに参加するなど、将来を嘱望される右腕だった。ところが、プロ入り直後から右肩痛に悩まされ、91年の21試合登板をピークに右肩下がりに。95年からは近鉄に移籍してプレーを続けたものの、3年間で戦力外を余儀なくされた。

「近鉄の最終年はすでに右肩がボロボロだったので、球界への未練はなかった。だから、クビを通告された場で球団幹部に『近鉄の関連会社で働かせてほしい』とお願いした。でも、即答で『ムリ』と(苦笑)。巨人から来た外様には冷たかった。そこで、巨人時代の監督だった故・藤田さん(元司氏)とコーチだった末次さん(利光氏)に相談。2人の知り合いの建設会社に就職させてもらい、営業兼現場作業員として再スタートを切ったのですが…。これが地獄の始まりでした」

 当時の建設現場は完全な職人社会。34歳で飛びこんだ“ズブの素人”の松谷さんには厳しい洗礼が待っていた。元プロ野球選手の肩書や名声は一切通じない。仕事ができなければ、親分だけでなく、10代の若手職人からも容赦ない罵声が飛んだ。

「オッサン、はよ動けや! 何もできへんヤツが何で現場におるんや!」

■寝る間を惜しんで業界用語を勉強

 1カ月もたたないうちに「退社」の二文字が脳裏をよぎった。しかし、我慢するしかなかった。

「私が辞めたら今後巨人をクビになった選手がこの会社に入れなくなる。そんな前例を作ってはいけない。同時に『このままじゃ何も変わらない。何とかしないと』と、プライドを捨てて気持ちを切り替えました」

 職人やゼネコン業者と対等に仕事をするため、業界本を何冊も買って寝る間を惜しんで勉強に励んだ。近寄りがたい親方衆にはあえて現場で“接近”。「教えてください」と頭を下げ、怒鳴られながら作業のイロハを覚えた。

 1年半後、松谷さんに転機がおとずれる。勤め先の経営が傾き始めたのを機に、同業他社へ転職。休眠状態だったこの会社こそ、現在の「株式会社スチールエンジ」の前身だった。

 6人足らずで船出して無我夢中で働くこと3年、周囲に勧められ03年に代表取締役に就任した。以後、順調に事業を拡大。今では従業員60人、来季は年商100億円を視野に入れる。

「建設業界に入った直後の辛い思い出は心にあります。私の社員には同じ思いはさせたくない。お金の追求より、社員が将来に不安なく仕事を続けられるか。その点を今度も大事にしたい。将来的には自前で社会人野球チームを作り、スポーツ選手のセカンドキャリアを助けたい。それができれば、元選手を大量雇用できますから。今後はそういう形で球界に恩返しがしたいですね」

▽まつたに・りゅうじろう 1964年7月10日、大阪府大阪市生まれ。大阪市立高から大阪ガスを経て88年ドラフト2位で巨人に入団。95年近鉄に移籍。97年オフに引退後、建設会社を経て03年スチールエンジ株式会社代表取締役に就任。プロ通算成績は59試合4勝4敗1セーブ、防御率5・06。身長182センチ、体重80キロ。右投げ右打ち。」


人生は、解らないことだろう。
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