知らなかった。渡辺氏の話。
「前回に続き、「住友不動産の中興の祖」とたたえられた豪腕経営者・安藤太郎さんの話から。私が会社整理中の失意の時代も、安藤さんには「遊びにこいよ」と誘っていただき、新宿の本社に何度か伺った。
「ナベさん、オレ、もう96歳と6カ月だよ」と言うのを覚えているから、2006年のこと。安藤さんの部屋の隣の応接間に大量の本が積み上げられている。「大掃除ですか?」と尋ねたら、「そろそろ片づけなきゃいけないと思ってね」とニヤリ。当時も取締役を務めていて、すごい人だなと思ったものだ。
安藤さんは80歳を超えても銀座のクラブに出没していた。90歳になっても住友不動産経営の泉カントリーでプレーした。いつまでも元気だった。あの毒舌の経営評論家・針木康雄さんは「不良老年」と名づけていた。
私がハワイにホテルを所有したころ、奥さまと一緒にいらしてくれて、そのときに住友銀行(現三井住友銀行)時代の話をいろいろ伺った。
東京事務所を任された安藤さんは、朝4時に起きて、すぐに仕事を始めたという。大蔵省(現財務省)や自民党に食い込み、大阪の銀行に過ぎなかった住友銀行を、三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)や富士銀行(現みずほ銀行)と肩を並べるほどにした。副頭取に出世した。
「あるとき、『東洋工業(現マツダ)と住友不動産のどっちがいい?』と聞かれ、不動産のほうがやりがいがあると思ったんだよ」と、豪快に笑いながら話してくれた。
安藤さんを私に紹介したのが、日本長期信用銀行(経営破綻後、国有化を経て、新生銀行に改称)の頭取、会長だった杉浦敏介さん。「おもしろいヤツがいる」と、東京会館で月1回催されたお歴々の食事会に私を呼んでくれた。
長くトップの座に君臨し、「長銀中興の祖」と呼ばれた杉浦さんは、私と同様、バブル経済崩壊後に散々イジめられた。
リースや不動産などの新興企業へ積極的な貸し出しが、不良債権化し、98年に長銀が経営破綻したとき、「破綻の元凶」と名指しされた杉浦さんは、退職金の返還を求められ、自宅を売却することで退職金の一部、約2億円を返還した。晩年は失意だった。
杉浦さんは06年、心筋梗塞で亡くなった。94歳だった。安藤太郎さんも10年、老衰のため亡くなった。100歳だった。安藤さん、杉浦さんには、仕事も遊びも教わった。この方たちと親しくさせていただいたことは、私の財産になっている。
このコーナーでもお伝えしたとおり、先日、三越(現三越伊勢丹)の社長を務めた坂倉芳明さんの訃報に接した。私とかかわりのあった方がどんどん逝ってしまう。こうして、ひとつの時代は終わっていくのだなと思ったものだ。
■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。」
色々、面白い話が、ある。
「前回に続き、「住友不動産の中興の祖」とたたえられた豪腕経営者・安藤太郎さんの話から。私が会社整理中の失意の時代も、安藤さんには「遊びにこいよ」と誘っていただき、新宿の本社に何度か伺った。
「ナベさん、オレ、もう96歳と6カ月だよ」と言うのを覚えているから、2006年のこと。安藤さんの部屋の隣の応接間に大量の本が積み上げられている。「大掃除ですか?」と尋ねたら、「そろそろ片づけなきゃいけないと思ってね」とニヤリ。当時も取締役を務めていて、すごい人だなと思ったものだ。
安藤さんは80歳を超えても銀座のクラブに出没していた。90歳になっても住友不動産経営の泉カントリーでプレーした。いつまでも元気だった。あの毒舌の経営評論家・針木康雄さんは「不良老年」と名づけていた。
私がハワイにホテルを所有したころ、奥さまと一緒にいらしてくれて、そのときに住友銀行(現三井住友銀行)時代の話をいろいろ伺った。
東京事務所を任された安藤さんは、朝4時に起きて、すぐに仕事を始めたという。大蔵省(現財務省)や自民党に食い込み、大阪の銀行に過ぎなかった住友銀行を、三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)や富士銀行(現みずほ銀行)と肩を並べるほどにした。副頭取に出世した。
「あるとき、『東洋工業(現マツダ)と住友不動産のどっちがいい?』と聞かれ、不動産のほうがやりがいがあると思ったんだよ」と、豪快に笑いながら話してくれた。
安藤さんを私に紹介したのが、日本長期信用銀行(経営破綻後、国有化を経て、新生銀行に改称)の頭取、会長だった杉浦敏介さん。「おもしろいヤツがいる」と、東京会館で月1回催されたお歴々の食事会に私を呼んでくれた。
長くトップの座に君臨し、「長銀中興の祖」と呼ばれた杉浦さんは、私と同様、バブル経済崩壊後に散々イジめられた。
リースや不動産などの新興企業へ積極的な貸し出しが、不良債権化し、98年に長銀が経営破綻したとき、「破綻の元凶」と名指しされた杉浦さんは、退職金の返還を求められ、自宅を売却することで退職金の一部、約2億円を返還した。晩年は失意だった。
杉浦さんは06年、心筋梗塞で亡くなった。94歳だった。安藤太郎さんも10年、老衰のため亡くなった。100歳だった。安藤さん、杉浦さんには、仕事も遊びも教わった。この方たちと親しくさせていただいたことは、私の財産になっている。
このコーナーでもお伝えしたとおり、先日、三越(現三越伊勢丹)の社長を務めた坂倉芳明さんの訃報に接した。私とかかわりのあった方がどんどん逝ってしまう。こうして、ひとつの時代は終わっていくのだなと思ったものだ。
■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。」
色々、面白い話が、ある。