黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

ハクセキレイ改稿

2012年05月01日 10時24分52秒 | ファンタジー

 もう三年も前になる。八月の初めの早朝、妻が居間のカーテンを開けたとき、玄関横の窓の下にハクセキレイの死骸が一羽横たわっているのを発見した。ふと何年も前に我が家に巣を作ったハクセキレイを思い出した。この家にいた黒猫「との」が十五才で死んだ翌年の平成十五年、ほぼ雪が解け終わったころ、居間から見える玄関の庇とその上のベランダとの狭い空間を、毎日何度ものぞきに来るハクセキレイの姿に気が付いた。すぐに、つがいのハクセキレイたちは、木の枝や草を次々と運んできた。そして、一月以上忙しく子育てした後、ある日を境にぱったりと戻って来なくなった。その間、巣の方からほとんど物音がなかったので、天敵のカラスなどの鋭い目をかいくぐって、無事ヒナが巣立ったかどうか見損じてしまった。
 その年、庭木の冬囲いに取りかかるころ、玄関の庇に梯子をかけ、すき間の奥の狭いところから、黒ずんだ丸い固まりを引っかき出した。それには鳥の羽毛と糞のようなものが沢山こびりついていた。明らかに鳥が子育てをした痕跡だった。
 翌十六年の春先にも、つがいのハクセキレイが庇の上のすき間をのぞきにやって来た。調査が四、五日続いた後、二羽の鳥の姿は消えた。巣作りをあきらめたのだ。去年の巣を取り除かれたのが気に入らなかったのだろうか、といぶかしく思ったことを覚えている。
 それから一月あまり経った六月十八日、めまいが酷くなった父親を札幌の病院へ連れて行くため、私と妻は、太平洋岸の私の実家にいた。季節はずれの暑い日で、深夜、二階の寝室の窓を閉めようとしたとき、ブロック塀の外側の道路上に、小さな、しかし元気よく鳴く猫がいた。妻と二人で窓から顔を出すと、子猫は小躍りするように跳ねて一メートル以上もある塀をよじ登ろうとした。私たちはなにかを考える余裕もなく、すぐ玄関の外に出た。すると、その猫は塀づたいに走り、玄関先にいる私たちにかけ寄ってきた。切ない声で鳴きながら妻の足元に体を押しつける様子は、まるでしばらく会っていなかった飼い主に再会できたかのようだった。大の動物嫌いの私の母親に配慮して、牛乳と花かつおを与えただけで、その晩は心配しながら寝た。
 翌朝、猫の姿はなかった。寂しく複雑な気持ちのまま父親の用事を済ませ、夕方自宅に帰ろうと実家の玄関を出ると、隣家の前庭の片隅から、姿は見えないがかすかに猫の声が聞こえた。大事な落とし物を見つけて舞い上がってしまいそうな気持ちを抑えて、おいでおいですると、猫は狭い植え込みをかき分けて私たちの前に出てきた。現在元気に走り回っている「はな」は、こうして我が家にやって来た。
 その年の暮れ、雪が来る前に自宅の周りの掃除をしていると、車庫とその裏のコンクリート擁壁にはさまれた三十センチメートルくらいの狭い土地に、枯れた雑草に隠れて、細い木の枝と藁の絡まった塊があった。去年見たハクセキレイの巣にそっくりだった。それは周りから見えないように工夫されていたが、地面から三、四十センチメートルの高さしかなく、野良猫やたまにやって来るキタキツネに見つかったらひとたまりもないだろう。ハクセキレイはどうしてこんな危険な場所で子育てをする気になったのか。
 彼らは、縄張りの中を飛び回りながら、家の中の外敵までも注意深く観察していたはずだ。だから、とのが死んだ次の年、迷うことなく巣作りを始めることができた。それだけ鋭い眼力の持ち主たちが、なぜ翌年の春、比較的安全な場所を放棄して、わざわざ危険度の高い車庫の裏に移動したのはどうしてなのか。ひょっとすると、と勘ぐりたくなる。猫が嫌いな彼らは、はなが、この家にやって来る一月も前に、そのことを予感したのかもしれないと。
 妻は、ハクセキレイが白っぽい腹を上に向けて死んでいるのは変だと、しきりに首をひねった。猛スピードで誤って家の壁に追突したのかどうかわからないが、事故死だったのではと言う。ハクセキレイの寿命はどのくらいなのだろう。カラス、スズメが六、七年と聞いたことがあるから、体の大きさがスズメと似たハクセキレイの寿命もそのくらいなのか。とすると、死んだ鳥は、平成十五年にここで生まれたと考えても不自然ではない。
 私の想像では、渡りを得意とする彼は、小さな体で、季節の移り変わりを敏感に感じ取り、この地から緑豊かなシベリアの大地に遊び、サハリンの上空を旋回しながら、宗谷岬を起点として扇形に広がる北海道の大地を一望した。それから津軽海峡をあっという間に飛び越えることもあっただろう。こうした大飛行を何度も経験し、ついに自分の寿命が尽きることを知って、生まれた巣を求めてこの家に帰ってきた。庇の奥のすき間には、きっと彼の強靭な羽が一枚と、小さな足跡がいくつか残されていたはずだ。(2012.5.14)
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