黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

掃除当番

2012年05月18日 10時30分45秒 | ファンタジー

 今でも学校では、生徒たちが教室の掃除をしているんだろうか。私のころは、小学校から掃除当番があり、学校生活を通算すると相当の回数になったはずなのだが、どんな掃除をしたかほとんど憶えていない。黒板のチョーク消しをパタパタ叩いているうちに掃除が終わっていたり、箒を持ってたたき合いした思い出ばかりで、つまり、まともに掃除していないような気がする。まじめなクラスメートの皆さんにはたいへん申し訳ない気持ちだ。今になってお詫びしてもなんの足しにもならないと思うが。
 小学校低学年のころのあいまいな記憶のお話。
 掃除が終わった後の人の気配のない教室内に、まだ強い西日が、白っぽく汚れたガラス窓を通して射し込んでいる。その小さくて視野狭窄したような映像の中に、当番がいっしょだと思われる幼い女の子が見え隠れしているのだが、その記憶に顔を近づけてはっきり見ようとすればするほど、その子の顔はぼんやりとして、輪郭も表情も見分けられなくなる。それどころか、見続けるうちに、彼女の背後の窓から射してくる半世紀も前の逆光に目が眩んでしまい、彼女の記憶は黒い闇にどんどん溶け込んでいくのだ。
 そのとき女の子の声が聞こえた。指切り拳万(げんまん)嘘ついたら針千本飲ーます。この言葉をそのとき彼女はほんとうに言ったんだろうか。だとしたら、私は彼女となにを約束したんだろうか。果たしてその約束を守ったんだろうか。思うに、怠け者の私は、今度の当番のときはちゃんとお掃除しようね、という約束をさせられたんだろう。
 数年前、両親のいなくなった実家の押入を片づけたとき、大量の未整理の写真が出てきて、その中に私と弟それぞれの小学校から高校までのクラスの集合写真が一枚も欠けないで残っていた。私は、その写真に写る自分を捜す前に、指切りした女の子を見つけようとしていた。しかし、どうしても彼女の面影にたどり着くことはできなかった。別のクラスの子だったんだろうか。その当番以降の彼女の思い出は、まったくどこにも、欠片すら見当たらない。(2012.5.18)
 

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