黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

カラスたちの浦河

2009年11月04日 09時07分44秒 | 日記
「カラスたちの浦河」

 平成19年、浦河町の2階建のアパートにたどりついた6月のその日は、暖かく晴れ渡っていた。しかし、翌日から夏の終わりまで、早朝晴れ間が見えても、朝8時頃になると海の方から白く濁ったふわふわの霧が内陸に向かって押し寄せる日が続いた。その霧に包まれると、気温が2・3度、急激に下がった。慣れているはずのカラスたちさえ、身を縮めるようにおとなしくなった。
 浦河で一番数が多い生き物はカラスであろうか。浦河では、人間はカラスの縄張りの中に居住を許されていると思っていなければ、危険な目に遭うことがある。新入りはただちにカラスの監視下に置かれ、不穏な行動がないか注意深く観察される。乗ってきた車の屋根は一時的にカラスに占領される。カラスの鋭い視線を嫌がって、何だお前、と追い払おうものなら逆襲される恐れがあるので逆らってはいけない。数日間の我慢である。
 顔なじみのカラスたちと挨拶ができるようになったころのこと、カラスが3羽、アパートの裏庭で遊んでいた。突然そのうちの1羽が他の2羽に対しギャーギャーと鳴きながら攻撃を仕かけた。しかし、仕かけられた2羽はあきれたようにそっぽを向き、一定の距離を置いて相手にもしない。しばらく観察していると、うるさいカラスの体が2羽に比べ少し小さいことに気がついた。つまり、つがいの親ガラスに子ガラスがエサをねだるのだが、両親は頑として受けつけないのだ。浦河のカラスの家族は、理想的な子離れの振る舞いを演じていた。
 これは妻の目撃談。突然何羽ものカラスのけたたましい鳴き声がしたのでベランダに出てみると、アパートの横を走る幹線道路の真ん中に黒い固まりが見えた。たった今、車に轢かれたのだろう、腹がつぶれ白っぽい腸のような内臓がはみ出たカラスの無惨な姿があった。そのとき1羽のカラスが急降下して道路に舞い降りた。 そのカラスは、道路に横たわった仲間を何度かくちばしで起こそうとした後、そのままにはしておけないというように、道路脇に必死に引きずっていくのだった。耳が痛いほどのカラスの鳴き声があたりを覆いつくす中、歩道の人間や道路を走ってくる車は、野生の存在感に圧倒されたかのように凍りつき、彼らの作業が終わるまでの時間をじっとうつむきながら待った。
 浦河港に小さな漁船が帰ってくる夕方、カモメとカラスが遠巻きに待機している光景に何度も遭遇した。漁師たちは、荷下ろしが終わると、船の底に散らばっている売り物にならない雑魚をバケツですくって岸壁にまき散らすのだった。鳥たちはそれを目がけて一斉に突進するので、岸壁は毎日お祭り騒ぎだ。だから、海の近くの野外でものを食べる場合は必ず相当量のおすそ分けが必要だ。一度だけ、岸壁で昼食の弁当を食べたことがあった。カモメとカラスが15羽、30羽と音も立てずに飛んできて周りを囲まれたときは、ヒッチコックの映画より背筋がゾッとした。
 浦河の生活が2年目になったころ、うちの「はな」はベランダで紫外線の薄い日光浴を楽しみながら、ようやく浦河のカラス語や野鳥語が理解できるようになったが、ネコなので彼らと仲良くなるまでには至らなかった。
 妻が知り合いになった地元の方々からは旬の魚や野菜の差し入れをいただいた。顔に小さなちょうちんやお腹に吸盤がある調理したことがない魚たちもいた。妻は、「お前、深海魚なの?」と恐る恐る話しかけていたが、それがたいそう美味なのだった。
 そんな対話ができるようになったころには、約2年間の浦河生活が終わろうとしていた。(H21.11了)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オレンジジュース・ララバイ | トップ | 松中先生 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿