黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

こんなに本を買い込んで

2022年11月13日 22時55分16秒 | ファンタジー
【3万年前のケナガマンモス(復元)】 
 家の書棚を見てふと気がつく。こんなに大量の本に目を通す残年数があるだろうか? あと30年くらいあったらと、はかない望みを抱きつつ、本を手に取れば、たちまちそんな不安は霧のように消えてなくなる。
 昨日、書棚の暗がりで「東アジアの古代文化」(1974年秋号)という雑誌をたまたま手に取った。変色した表紙に、『古代日本の新羅系文化』というサブタイトルがあるではないか! それに惹きつけられて、午前から夜までぶっ通しで読み続けた。鈴木武樹氏、山田秀三氏、古田武彦氏、吉野裕氏らの懐かしい方々に久しぶりに遭遇して自分の年齢を感じたがすぐ打ち消した。
 記事の中には蝦夷に関する無知で差別的なのもあったが、多くは権威的な考えにとらわれない先鋭的な論述だった。
 それにしても、韓半島や日本列島というのは、大陸から見れば、東海上に突き出した緑豊かな砂州みたいなもので、大陸方面から追われる者たちにとって、身を隠すにはもってこいの場所だったろう。列島まで行くには海を渡らなくてはならないが、半島からは対馬海流に身を任せればほぼ確実に到着できる。
 そんなわけで、半島の古い住人である辰韓ヒトや対馬海峡付近を活動拠点としていた弁韓ヒトは、列島先住民の縄文の人々と連携して弥生文化を広める役割を担ったことだろう。彼らこそが倭ヒトの原型と言っていいと思われる。
 北九州や出雲、越などの日本海方面から北関東そして東北までつながる新羅文化や、瀬戸内海から近畿地方に至る北方狩猟民系の高句麗、百済文化の痕跡がはっきり見えてくるのは、ずっと後の時代、弥生の終わりから古墳時代の幕開けのころか。その背後には古代中国帝国の影が見え隠れする。
 こんなふうに考えると、日本古代史を究めるには古代国際関係論を煮つめる以外に有効な手段はないのでは。きっと頭を突っ込むと楽しすぎて抜け出せなくなること間違いなし。(2022.11.13)

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