黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

コモン書を読む

2017年10月03日 18時16分05秒 | ファンタジー

 私自身、古文書をコブン書と読んでしまうので、あえてコモン書と表記した。コモンとはコモンセンスのコモンでなく、古文書のコモンのこと。ちなみに英字のコモンとは常識とか共有とかの意味らしい。
 最近、思うところあって、古文書の初歩を勉強し始めたのだが、テキストを1、2ページ読んだら決まって眠くなる。教材に使われているのが浮世絵の板木に刷られた説明書き。その行間からは、世相への諷刺が行き過ぎないよう、言いたいことをぐっと呑み込まざるをえない歯がゆさがのぞく。気持ちはよくわかるのだが、今時では上品すぎる文章表現なので刺激に乏しくすぐ飽きがくる。
 さらに、写真の文字がさっぱり読めない。読めないから勉強しているはずが、見た目のくねくねしたミミズの這ったようなのが、どうも気色悪くて見ていられない。初心をどこかに置き忘れ投げ出してしまいそう。こんな堪え性がないなら、本作りなんてできるんだかどうだか。
 古文書などに首を突っ込もうとしたのには、もちろんきっかけがある。前々から思っていたのだが、両親が亡くなったとき取り寄せた古い戸籍関係書類の中に、判読しずらい書体があった。仕事をリタイアして暇ができたので、その部分を解明しようと思い立ったわけ。
 わずかな勉強の甲斐あって、そこんところは9割がた読めるようになった。すると、次の問題が持ち上がった。ミミズ文字の古い戸籍に記載された先祖の消息が、聞いていたことと矛盾するのだ。
 私の父方の祖父母は、明治の終わり、連れだって北方の未開地に入植したが、想像を絶する厳しい風土の中、子を亡くすなどずいぶん難儀した。そう聞いていた。二人がどんな経緯で入植したか、持っていたかどうかわからないが有り金をなくしたのか、あるいは投機に失敗したか、想定外の事件に遭遇したか、その辺りは何一つわからない。
 私は、十数年前の暖かい季節、内地(今でもときどき本州でなく内地と言ってしまう。父親の世代なら本州という語を使うことはなかったろう。)にある祖母の実家に一度だけお邪魔したことがある。そのとき、祖母の親族から、祖父の家はずいぶん裕福だったこと、今では子孫がどうなったか誰も知る者がないと聞いた。そういえば、祖父の家は商家だったと、ずっと昔、今は亡き伯母の誰かが言っていた記憶がある。 
 解読した結果、祖母の方は、実家から親兄弟まで実態に一致していた。ところが、父方の戸籍から、一度も聞いたことがない祖父の両親の名前が出てきた。ということは、曽祖父母の代はもとより、そのはるか以前から北方の地に住んでいたと考えられなくはない。さらに不思議なのは、1000キロも離れて暮らしていた祖父と祖母が、どんなふうにして知り合ったのかということだ。
 ふとよみがえったのは、以前、渡島半島に住む人から聞いた、自分の先祖が誰やら、いつ頃からここに住んでいるかわからないという話だった。私は不明にも、その話を聞くまで、先祖をたどれない事例があることを知らなかった。
 内地には昔から、人別帳とか宗門帳とか、戸籍簿代わりの書面があったそうだ。しかし、ここは、松前藩などの領地内は別として、その大部分が、役所や寺社の権能の及ばない茫漠とした土地だった。なので、明治初頭の戸籍法制定後、内地はすぐ、原籍(非開示)が作製できたというが、この地では開拓使の体制が整うまでしばらくかかったことだろう。
 考えようによっては、先祖が数十代、数百年もの昔までさかのぼれるより、せいぜい3世代しかたどれず、その先は何だったかわからない方が、余計な格式や家や血に束縛されないで気楽な生き方ができそうな気がする。ここだけの話だが、今でもこの土地には、内地から見れば、スターウォーズの暗黒面のような異次元の世界があちこち存在するのだ。(2017.10.3)

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