黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

カラスたちの神話

2021年06月01日 22時07分17秒 | ファンタジー
 カラスには鴉や烏の二文字があるが、文字の変遷を古へにたどっていくと、やはり烏に行きつく。鳥の頭から横線を一本引いた字なのは、頭も顔も黒いカラスには個体識別する模様がなかったから? それはともかく、梟と烏は、鳥の中でも別格だったと思う。私の仮説では、鳥字の横棒とは、鳥を祭る祭壇の形である。つまり、梟は木に乗せられ、烏は横棒に括りつけられ、人びとから盛大に見送られて鳥の国へ帰ったのだ。
 ところで、去年から忌々しいコロナがはびこったために、私は、しばらく自宅の窓から外を眺め暮らす生活を強いられている。向かいの小学校の周囲の草むらは、以前からカラスの家族の食事場所になっていて、いつしか友達のような親しみをもって観察に明け暮れるようになった。昨年中は3羽の親子がいつも寄り添っている姿があった。今年になっていつのころからか、1羽しか見かけなくなった。小柄なので子どものカラスだろう。親鳥たちは子に縄張りを譲り、どこかに旅立ったのだろうか。妻は、残されたカラスにカー子と名前をつけた。カー子は毎日姿を見せ、寂しそうな様子もなく餌をついばんでいた。今年、つがいの相手をどうやって見つけるのか楽しみだった。
 一昨日の午前、事態は急変した。私は久しぶりに所用で留守にしていたのだが、自宅にいた妻は、小学校の敷地に接する小路の向こうから走ってきた乗用車が、黒い何かを避けるようにして、不自然にハンドルを切るのを目にした。停車した車の傍らの路上に黒い塊があった。後ろからやって来た大型の車両がその塊に気がつかず、ひきそうになりながら停車したときだった。ゴミかと思われた塊がムクッと起き上がった。カラスだった。カラスは片足で体を引きずるようにして数メートル先の学校の草むらまでヨロヨロ走ると、また動かなくなった。それは間違いなく、ひどい怪我を負ったカー子だった。
 それから1時間ばかりして、カー子の姿が見えなくなった。妻は居てもたってもいられずカー子を探しに行くと、校舎側に人工的に作られた小山の途中にじっとうずくまっていた。カー子は、片翼がねじれ片脚が上を向いたままで体から出血があった。2枚の羽が路上に落ちていて、車か何かに衝突したかに見て取れた。首を上げてはいたが、目はうつろだった。声をかけたが反応がなかった。そのとき上空から、ギャーギャーと鋭いカラスの声がした。電線と校舎の上には、威嚇する2羽のカラスがいた。親鳥だろう。彼らは子の災難に気がついてどこからか飛んできたのだ。
 薄暗くなるころ、冷たい雨と風が吹きつけ出した。妻がカー子を見に行ったが姿はなかった。どこか建物の陰に隠れたか、それとも野生動物に捕獲されたのか。気配を感じて見上げると、かすかに明るさが残る上空の電線にとまった2羽のカラスが、また大きな声で鳴いた。 
 翌日の早朝、雨は止んでいて、電線の上には親カラスが1羽とまっていた。昨夜は巣に帰らなかったのだろうか。昼食をとろうとして窓外を見たとき、近くのゴミステーションの脇に、あたふたする近所の住人たちがいた。彼女らの足元には黒いものがあった。1人が軍手をはいて、それを持ち上げた。カー子だ。そこまで自力で歩いたとは‥‥。道路脇の草むらに運ばれたカー子は、まったく動こうとしなかった。
 見かねた妻が、おかずの卵焼きを数片持って、カー子のもとに急いだ。食べてくれれば、助かるかもしれない。1時間ほどして、私は様子を見に行った。見守っている親鳥は何度も威嚇の鳴き声を発した。親鳥は子の傍らに降り立とうとはしなかったが、その気持ちは痛いほど伝わってきた。カー子は卵焼きにまったく口をつけていなかった。そればかりか、首を羽の下に埋めたまま、まったく動く気配はなかった。立ち上がるのはもう無理か。
 夕方、近所の家族がカー子の脇で、どこかに電話をしていた。それからしばらくして、カー子の姿は消えた。その夜も遅くまで親ガラスが1羽、上空の電線にいた。
 今朝、親鳥2羽が、草むらを餌をついばみながら歩き回っていた、まるで何事もなかったように。彼らはカー子の最後を見届けたのだろうと、私は思う。その日は、この2日間の出来事がまったく想像できないくらい日差しの強い、久しぶりに暖かい日だった。(2021.6.1)

コメント
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