帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (六十六) 三津の浦ごとにうみわたるふね

2016-06-22 19:23:31 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。やがて、清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する読みを見いだせるでしょう。



 伊勢物語
(六十六)三津の浦ごとにうみわたるふね


 むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、つのくににしる所ありけるに(津の国に知る所があったので…津のくにに汁るところがあったので)、あにおととともだちひきゐて(兄、弟、友だち、引き連れて…身内、伴立ち、ひき連れて)、なにはのかたに(難波の方に…何はの遊び女の方に)、いきけり(行った…逝ったのだった)。なぎさをみれば(渚をみれば…凪さをみれば)、船どものあるを見て(船々があるのを見て…静まった・夫根どもの有るを見て)、

 難波津をけさこそみつの浦ごとにこれやこの世をうみわたる船

 (都の入り口・難波津を、今朝こそ、見つの・三津の、浦毎に、これがそうか、この世を憂み渡る、船よ・風音よ……何に端のおんなを、今朝こそ見た、心毎に、これがそうか、この夜を憂みわたる、夫根ども)

 この歌を、あはれがりて(おもしろがって…哀れがって)、人々帰って来たのだった。

 


 貫之のいう、言の心(この文脈のみ通用していた意味)を心得て、俊成のいう、言の戯れ(浮言綺語に似た戯れの意味)を知る。

 「津、渚、浦……言の心は女」「しる…領る…知る…汁…つゆ」「なにはの方…難波の方…何はの方…たぶん遊び女の方」。

 「みつ…地名、名は戯れる。御津、三津、見つ(見た・体験した)」「見…覯…まぐあい」「うら…浦…女…裏…心」「うみ…海…憂み…つらい感じ…倦み…いやな感じ」 「ふね…船…風音…民の声…夫根…おとこ」「風…国風・風刺・風評の風」。

 

難波津の船着き場の周辺にたむろする遊び女に群がる男どもの、この世を憂える・この夜を憂える、声を聞いたのである。それを、言の戯れを利して、清げに包むように和歌に表現して、物語にしてある。

 

国風は民の歌(民謡)に表われるという。この世の風を最も反映しているのは、この男の歌と物語のみだれぶりでしょう。業平が生きた時代は、藤原氏の或る一門による専制政治が今まさに確立した時代だったのである。以前、政権争いに敗れた側に居た父の阿保親王は流罪の憂き目を見た。業平は、藤原氏の或る娘と睦ましくなった十日目に、仲を引き裂かれた。その人が女御として入内したとき、世の仕組みを全て悟ったのである。自分は、誰に翻弄されたか、何に利用されたかも。


 その様子は、第四章に描かれてあった。仲を引き裂かれて一年後、忘れられない人が住んでいた東の五条の家に桜の花見の人に紛れて行った。「うち泣きて、あばらなる板敷きに、月の傾くまで臥せりて、去年を思い出して詠める」歌、

月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして

(月はない、春は以前の春ではない、我が身一人は元の身分であって……つき?はない、張る? は武樫の張るではない、我が身の一つのものは、もとの身のままで)と詠んで、よのほのぼのとあくるに(夜がほのぼのと明けるので…世がぼんやりと明らかになって)、どうしょうも無くて・泣く泣く帰って来たのだった。


 (2016・6月、旧稿を全面改定しました)