帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(七十二)うらみてのみも返る波かな

2016-06-28 19:17:10 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。やがて、清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する、正当な読みを見いだすことが出来るでしょう。



 伊勢物語
(七十二)うらみてのみも返る波かな

 むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、伊勢のくになりける女(伊勢の国に居た女…井背のくに・おんなとおとこのくに、に成った女)に、又えあはで(再びは逢えなくて…二たび合えなくて)、となりのくにへいくとて(隣の国へ行くということで…終りのくにへ逝くと言って)、いみじうゝらみければ(ひどく悔しがったので…ひどく、遊び女に・うらみ言をいったので)、女(大淀の遊びめ)、

 大淀の松はつらくもあらなくに 浦みてのみも返る浪かな

 (大淀の松は辛くあたっていないのに、浦見て・恨んで、それだけで返る波だこと……大よどの女は、辛くも何んともないのに、裏見て・恨んで、それだけで帰る、汝身だ・並みだ、ことよ)

 

 貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る

 「伊勢…地名、名は戯れる。いせ、井背、おんな、おとこ、尾張の隣」「くに…国…土地…人の世…ふるさと…おんな」「又…再び」「えあはで…逢えないで…合えないで…和合できずに」「おほよど…大淀、所の名、名は戯れる。おおいによどんでいる女、遊女自身」「大…褒め言葉では無い」「淀…川のよどんだところ…よどんんだ女…川の言の心は女」「松…待つ…言の心は女」「つらし…思いやりがなく苦痛に感じる…うらめしい」「うらみて…浦見て…恨みて…憎らしがって…裏見て・二見して」「うら…浦…言の心は女…裏…心」「見…媾…媾…まぐあい」「なみ…波…白波…汝身…並…大よどからみれば、武樫おとこも、大身や人も並である」「並…褒め言葉では無い」。

 

 歌は、遊女の心の内なる思いが顕れている。おとこなど、女のうつわから見れば、皆、並みの物に過ぎないというのである。ごもっともな、お返しである。

 

 「言の心」を心得ずに字義だけで、この歌物語を味わえば、砂をかむように味気ないだろうが、平安時代の人々は、言の心を心得て、歌の「心におかしきところ」を享受していたのである。

紀貫之は古今和歌集仮名序の結びで、「歌のさまを知り、言の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、いにしへを仰ぎて、今を恋ひざらめかも」と述べた。

「言の心」とは、「松…女」「鳥…女」「川…女」「月…男」「舟…男」などなどで、繰り返しこの「帯とけの古典文芸」でも紐解いてきたこと。「まつ…松…待つ…女」などという言の戯れに理屈はない、なぜそうなのかは説明不能。ただその様な意味で万葉集以前から用いられてきて、この時代の歌の文脈では通用していた意味と心得るしかない。

 

 紀貫之は、仮名序より三十数年後、「土佐日記」の中で、歌のさまや言の心について、易しく語っている。たとえば、土佐日記正月九日、

 宇多の松原をゆきすぐ、その松の数いくそばく、幾千歳へたりとも知らず。もとごとに浪うちよせ、枝ごとに鶴ぞ飛びかう、おもしろしと見るにたへずして、船人のよめる歌、みわたせば松のうれごとにすむつるは 千代のどちとぞ思ふべらなる  とや、この歌は所を見るにえ優らず。

  歌は次のように聞こえる

(見渡せば松の枝ごとに棲む鶴は、千代の友だちと思っているようだ・言の心は同じ女……見わたせば、待つの枝事に、済む女は、千夜のつれあいよ、と思うようだなあ)


「見…見物…覯…媾」「松…待つ…女」「うれ…こずえ…木の枝…おとこ」「すむ…棲む…済む」「鶴…たづ…鳥…女」「よ…世…夜」「どち…友…伴…つれあい」。

松と鶴の言の心は、千世も前から同じで、女であることを、言外に教示してある。言葉の意味にいちいち論理的理由などはない。貫之は、ただ「心得る人は歌が恋しくなるぞ」と言ったのである。


 (2016・6月、旧稿を全面改定しました)