帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (五十四)  つれなかりける女にいひやりける

2016-06-09 19:25:22 | 古典

 

             



                         帯とけの「伊勢物語」


  紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。



 伊勢物語(五十四)つれなかりける女にいひやりける


 昔、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、つれなかりける(冷淡だった…連れることなくかりした)女に言ってやった。
 
ゆきやぬ夢ぢをたのむたもとには あまつ空なるつゆやをくらん

 (行くに行けない夢路を、行きたいと・頼むわが袂には、天つ空なる露でもおりているのだろうか・重い……ゆくに逝けない夢路を、ゆきたいと・頼むおてもとには、天つ空に成る白つゆでも贈ろうか・遅い)



 貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう「言の戯れ」を知る

 「つれなかりける…冷淡だった…連れなかった…つれないかりした」「かり…狩…めとり…まぐあい」「ゆき…行き…逝き」「たもと…袂…てもと…みもと」「あまつそらなる…天つ空にある…天の空に成る…浮き天の波に漂う情態に成る…空しくなる」「つゆ…露…おとこ白つゆ」「をく…招く…誘う…おく…置く(露などがおりる)…送…贈」。

 
 おとこ誇り、おとこ自慢の、男どもが斯くありたいと思う物語である。山ばの頂上に共に連れてゆき、浮天の波に漂う思いをさせるという男の務めについて、自信満々、余裕綽綽である。


 後撰和歌集(古今和歌集の次の勅撰集)恋一に、この情況を裏返したような、女の立場で詠んだ歌がある。題しらず、(よみ人しらず)。

ゆきやらぬ夢路にまどふたもとには あまつそらなるつゆぞをきける

(行くに行けない夢路に惑う袂には、天つ空の露が降りていたことよ・重たいわ……逝くに逝けない、夢路に惑う、手もとには、女の空ぞらしくなる白つゆ、贈り置いたのねえ・早々に)


 「まどふ…惑う…まとふ…まといつく」「たもと…袂…手許」「た…接頭語」「あまつ…天津…天の…あまの…女の」「そら…天空…空…むなしい」「ける…けり…気づき・詠嘆の意を表す」。


 これが普通の性情で、ご一緒に同時に有頂天へ参上することは、至難の業(わざ)である。「古事記」によると、みとのまぐあひ(み門のま具合い)は、男神が先に「あなにやし、えをとめを」と声をあげ、後に女神が「あなにやし、えをとこを」と言うのを、「み合」とすると言う。神世ならぬ、人の夜は、推して知るべきである。

 (2016・6月、旧稿を全面改定しました)