帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (六十三) ももとせにひととせ足らぬつくもかみ

2016-06-19 09:30:33 | 古典

               



                            帯とけの「伊勢物語」



 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。



 伊勢物語
(六十三) ももとせにひととせ足らぬつくもかみ


 昔、よ心つける(世心ついた…夜心憑いた)女、いかで心なさけあらむ男(何とかして心に情けある男…逝かで此処ろに情のあるおとこ)に、あひえてしがな(逢えたらなあ…合えたらなあ)と思っても、言い出すのも、たよりなさに(きっかけながないので…頼む相手もいないので)、本当ではない夢語りにして話す。子供三人を呼んで語ったのだった。二人の子は情けない様子で応えて終わった。三郎だった子はなんと、「よきみ男ぞいでこむ(良き御男に出会うでしょう…好き見おとこに合うでしょう)」と、話を・合わせると、この女、けしきいとよし(気色とってもいい…上機嫌である)。「こと人はいとなさけなし(他の人は全く情けがない)。いかでこの在五中将に(なんとかして、この在原氏の五男の中将に)、あはせてしがな(逢わせたい…合わせたいなあ)と思う心があって、在五中将が、狩り(猟…かり)しあるいていたときに逢って、道にて馬の口を取って、「かうかうなむ思ふ(斯く斯くしかじか思っているので…親・孝行をとですね思いまして)」と言ったので、あわれがりて(哀れと思って…不憫と思って)来て、ねにけり(寝た…共寝したのだった)。さて後に、男が見えないので、女、男の家に行って垣間見ていたのを、男がほのかに見て、

 もゝとせにひとゝせたらぬつくもかみ 我をこふらし面影に見ゆ

 (百歳に一年足らない九十九歳の白髪女、我を恋うらしい、顔つきや様子に見えている……百とせに、一利し不足、つくも・九十九、かみ・女、我お、乞うらしい、おも陰に見えている)と言って、いでたつけしきを見て出かける気配を見て…井で立つ気色をみて)、むばらからたちにかゝりて家にきて(女は・茨や枳殻に引っ掛かって家に帰って来て…おとこは・荒れた井辺に来て)、うちふしけり(うち臥した…射ち伏したのだった)。おとこ、彼の女がしていたように、物陰に・隠れて立って見ていたところ、女は嘆いて寝るといって、

 さむしろに衣片敷き今宵もや 恋しき人にあはでのみねむ

 (さ筵に、夜衣を片方だけ敷いて、今宵もか、恋しい人に逢えないままに寝る……さむ白のために、夜の身と心を、片しきて、今宵もか、乞いしい男に、合わずに寝るのでしょうか)と詠んだのを、男・おとこ、あはれ(哀れだ・不憫だ)と思って、そのよはねにけり(その夜は共寝したのだった…その夜は又寝たことよ)。


 世中のれいとして
女と男の仲の例として)、思うをば思い、思わぬ相手をば思わないものなのに、この人は、思うをも、思わないをも、けじめ見せぬ心なんありける(けじめ見せない心があったのだった…区別なく見る博愛心があったのだった)。

 


 貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る

 「世こころつける…女と男の仲の情のついた…夜心憑いた」「かり…狩…あさり…めとり…まぐあい」「もゝとせにひととせたらぬつくもかみ…百に一つ足りない九十九(つくも)かみ(髪・女)…百の文字の上の一の足らない髪…白髪…感の極みには一利し足りない九十九の女」「とせ…とし…歳…利し…利き」。

「いへ…家…井へ…井辺…おんなの辺り」「こふ…恋う…乞う」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

この章は、歌も文も少し異質で、清げな姿は味気なく滑稽である、この章は業平の仕業ではないかもしれない。しかし、いずれにしても、冷酷ともいえる男の心を緩和したくなった人の書き加えだろう。六十章や前章の女に対する冷酷な仕打ちが見える人には、この章の存在する意義が解る。原作者業平があえて取って付けたように語ったのかもしれない。後の人が、これだけの歌と物語を作るには、強い動機と文才がいる、業平の子か孫の仕業かもしれない。


 (2016・6月、旧稿を全面改定しました)