帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(六十九)伊勢のくにゝ狩りの使にいきけるに

2016-06-25 18:56:47 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。やがて、清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する、正当な読みを見いだすことが出来るでしょう。



 伊勢物語
(六十九)伊勢のくにゝ狩りの使にいきけるに


 むかし、おとこ有けり(昔、男がいた…武樫おとこが有った)。その男、伊勢の国に、狩りの使(勅使)として行ったときに、彼の伊勢の斎宮であった人の親、「つねのつかひよりは、この人よくいたはれ(常の使者よりは、この人をよくもてなしなさい…いつもの使者よりは、この人を親切にもてなしなさい・実はあなたの○○よ)」と言ってきていたので、母・親の言うことなのでたいそう親切にもてなしたのだった。朝には狩りに出掛けさせ、夕方になって帰えると、同じところに来させた。こうして懇ろに世話をしたのだった。二日目という夜、男、「われてあはむ(是非とも逢いましょう…思い切って合いましょう)」と言う。女もまた全く逢わないとは思ってはいない。だけど、人目が多いので逢うことはできなかった。

この男は使者の主だった人だったので、遠くには泊まらさず、女の閨の近くであったので、女、人を寝静めて、午前零時ごろに男のもとに来た。男はやはり寝られなかったので、外の方を見て臥せっているときに、月がおぼろで、小さい童子を先に立てて人が立っている。男、とっても嬉しくて、わが寝るところにつれて入って、午前零時より午前三時まで居たが、まだ何事も、語り合わないのに帰ったのだった。男、ひどく悲しくて寝られかった。

明くる朝、いぶかしくはあったが、我から人を遣ることはできないので、たいそう気にかかって待っていると、明るくなってしばらくしたころに、女のもとより、詞書きはなくて、

 君やこし我やゆきけむおもほえず夢かうつつか寝てか覚めてか

 (君は来ましたか、わたしが行ったのかしら覚えがない、あれは・夢か現実か寝てか覚めてのことなのかも……君は納得ゆきましたか、わたしは納得いったとは覚えない、実の親子なんて・夢か現か寝てか覚めてのことなのでしょうか)

男、激しく泣いて、

 かきくらす心の闇に惑ひにき夢うつつとはこよひ定めよ

 (かき曇る心の闇に、惑うてしまった、これは・夢か現かは今宵逢って定めよ・わからない……かき曇る子を思う親の心の闇に、惑うてしまった、夢か現かは今宵逢ってはっきりしょう)と詠んで遣って、狩りに出た。

野にあっても心はうわの空で、今宵こそ人静めて、早速逢おうと思うのに、伊勢の国守で斎宮の長官を兼任していた人が、狩りの使が来ていると聞いて、一昼夜酒宴を設けたので、まったく逢うこともできず、明ければ、尾張の国に発とうとするので、男も人知れず血の涙を流すが、逢えない。夜がしだいに明けようとするころに、女の方より、出す盃の皿に歌を書いてさし出した、とって見れば、

 かち人の渡れど濡れぬえにしあれば

 (徒歩の人が渡っても、袖の・濡れない江のような、浅い・縁でありますれば……あゆみくる人がわたっても、身のそで・濡れられない。えにしであればと書いて末の句はなし、その盃の皿に松明の炭で歌の末を書き継ぐ、

 また逢坂の関は越えなん

 (いつかまた逢坂の関は越えるだろう・貴女が帰京したときに逢おう……いつの日かまた合う坂の関は越えたい・京であおう)といって、明けたので、尾張の国へ越えにけり(終りの国へ越えてしまった…合う坂を越えることはなかった)。

 
 斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御むすめ、惟喬の親王の妹。


 

貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る

「おやのことなれば…母親の言葉なので…父親の事なので(母の直感に間違いはないだろう)」。

「ゆきけむ…行った…心いった…納得いった…入った…逝った」。

「心のやみ…親がわが子への思いに善悪など見境なく超えてしまうような、愛着・執着による、心のまよい」。

「わたれどぬれぬ…渡っても袖も濡れない…浅い…身の端の濡れない」「えにし…縁…江にし…枝にし」「江…言の心は女…おんな」「枝…言の心は男…おとこ」「にし…で(ある)」。

「あふさかのせき…逢坂の関…京へ帰る道…この関を越えれば宮こ(京)または合う身(近江)となる山ばの関」「こえなむ…きっと越えるだろう(実現を強く推量する意を表す)…越えたい(実現への強い意志を表す)」。

 

最後の一行は後の人の書き加えである。今、一つ書き加えると、斎宮の母は、紀有常の妹、紀静子である。入内まえに、在原業平より、「夜心」の手ほどきを受けた。たぶん近代以来の道徳や倫理観では考えられないだろうが、古代人のそれは、より現実的で理に適っていて、むしろ、何も知らない、きむすめを入内させる方が、酷で人道に外れているのである。そして、まかり間違っても皇族の血は守られるように、そのような役目は、源氏,平氏、在原氏のような、もと皇族うちの優れた男に依頼したのである。これがわが国の古代の倫理観である。平中物語の「平中」もまた、頼むべき人であった。

 

 この男、このとき合う坂の関を越えられなかった。それは、神世からあり今もある、近親相姦を禁忌とする倫理観のためだろう。この二人、はたして、ほんとうに父と娘だったのだろうか。古今和歌集では、「世の人定めよ」という。

巻第十三 恋歌三に、斎宮なりける人への業平朝臣の返歌として、「かきくらす心のやみにまどひにきゆめうつつとは世人さだめよ」とある。勅撰集である古今集は「今宵定めよ」の生々しさを消したのである。


 (2016・6月、旧稿を全面改定しました)