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帯とけの「伊勢物語」
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。やがて、清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する、正当な読みを見いだすことが出来るでしょう。
伊勢物語(七十)狩の使より帰り来けるに
むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、狩りの使より帰って来たときに、おほよどのわたりにやどりて(大淀の渡し場に宿をとって…大いに淀んだ辺りに宿って)、いつきの宮のわらはべ(斎宮に仕える童子…井付きの身やのおとこの子)に言いかけたのだった。
みるめかる方やいづこぞさをさして 我に教へよあまの釣舟
(海藻刈る潟は、何処かな、竿を指して我に教えよ、海人の釣り舟よ……見るめ狩る方は・かりの感どころは、どこなのだ、さお指して・小さなお指して、我に教えよ、あ間の吊りふ根よ)
貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る
「狩の使…諸国につかわされて野鳥を狩する役人…前章の男」「おほよどのわたり…大淀の渡し場…宿場…褒められぬ女たちがたむろする所」「おほ…大…ほめ言葉ではない」「よど…淀…女…よどんでいる…ほめ言葉ではない」「いつきの宮やのわらはべ…斎宮に仕える童子…井付きの身やのわらわ…おんなの吊りふ根…あ間に付いているの小さなおとこ」。
「みるめ…海藻…見るめ」「見…覯…媾…まぐあい」「め…女…おんな」「かた…潟…方…方向…方法」「さほ…棹…小お…小おとこ」「さ…美称」。
船着き場には、春のもの売る遊び女が居た。世の中に「必ずしもあるまじき業なり」と(土佐日記二月十六日)記されてある。ここでは、その遊び女を「大淀」と言った。男の歌は、欲求不満を吐きだしたのである。
在原業平よりほぼ三十年前の人の小野篁の歌に、「あまのつりふね…女の吊りふ根…あまに居つく小さなおとこのこ」と戯れる例がある。流罪となって、船に乗って流される時に詠んだ歌(古今和歌集 巻第九)。
わたのはらやそしまかけてこぎでぬと 人には告げよあまのつりふね
(海原、八十島めがけて漕ぎ出たと、都の人には告げよ、海人の釣り舟よ……腸の腹、八十肢間かけてこぎだしたと、人には告げよ、あ間の吊りふ根よ)
「わた…わたつみ…海…はらわた…腸」「はら…原…腹」「しま…島…肢間…女」「こぐ…漕ぐ…ふねをすすめる」「人…人々…女」。
海人の釣船に語りかけているのは清げな姿。言の戯れに「心にをかしきところ」が顕われる。小野篁の歌は、このをかしさを含む歌全体から、流罪となった憤懣を都の人に投げつけたように聞える。
伊勢物語の歌も古今和歌集の歌も、肝心な「心のおかしきところ」は秘伝となって、江戸時代には埋もれてしまった。今では、この両歌の「清げな姿」しか見えなくなった。誇るべき高度な文芸の氷山の一角しか見えていないのである
(2016・6月、旧稿を全面改定しました)