帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百二十三)(三百二十四)

2015-07-29 00:04:48 | 古典

           


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                         読人不知

二百二十三 たらちねのおやのいさめしうたたねは ものおもふ時のわざにぞありける

題しらず                        (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(垂乳根の親が諌めたうたた寝は、もの思う時の・恋に悩む時の、仕業だった・しばし忘れる……垂ち根のおとこの、諌めた、なおもなおもの共寝は、もの思う時の女の業(ごう)だったのよ)

 

言の心と言の戯れ

「たらちねの…親にかかる枕詞…垂乳め…母…垂父を…父…垂ち根…おとこ」「いさめし…諌めた…意見した…やめなさい…止めた…もうだめだ…やめてくれ」「うたたね…うとうとする…仮寝…ますますの共寝…(おとこが)いやになるほどの共寝」「うたた…ますます…不快な気分を起こさせるさま」 「ものおもふ…恋に悩む…性の快楽を思う」「わざ…仕業…行為…業…人のごふ…身体の行為・心の欲…古今集仮名序にある『世の中に在る人、こと、わざ、繁きものなれば』の、わざ」「ありける…気付き・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、うたた寝は、恋の苦しみから、しばらく逃れるためだった。

心におかしきところは、しお垂れたおとこの、うたて(嫌だなあ)と思うのは、うたた寝(ますます共寝)しようとするわたしの業(ごう)だった。

 

 

(題不知)                       (読人不知)

二百二十四 ことのはもしもにはあへずかれにけり こや秋のはつるしるしなるらん

題しらず                       (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(言の葉も、霜には堪えられず枯れてしまったことよ、これがまあ、秋の・飽きの、果てる徴候なのでしよう……ことの端も、下には堪えられず、上は・涸れてしまったことよ、これがまあ、飽きの果てる印しのようで)

 

言の心と言の戯れ

「ことのは…言の葉…言葉かけ・手紙…子・門の端…身の端…おとことおんな」「こ…子…おとこ」「と…門…おんな」「しも…霜…植物の葉を枯らす物…下…下になっている者…わたし」「あへず…堪えられず…こらえきれず」「かれにけり…枯れてしまったことよ…音信なくなったことよ…涸れてしまったことよ」「こや…これがまあ…これかなあ」「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き」「はつる…果てる…果てた」「しるし…徴…兆し…印し…証拠」「らん…推量・原因の推量の意を表す…だろう…婉曲な表現…であるような」

 

歌の清げな姿は、訪いもせず、文も寄こさなくなった時、飽きの果てる徴候だったらしい。

心におかしきところは、貴身の涸れてしまったとき、ものの快楽の果てだったようで。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。