帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 37 みちのくの玉つくり江に

2014-01-28 00:01:47 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町
37


     わすれやしぬるとある君だちののたまへるに

 みちのくの玉つくり江にこぐ舟の ほにこそ出でね君を恋ふれど

 忘れてしまったかと、或る君達がおっしゃったので……見捨ててしまったかと、或る君たちがおっしゃったので、

(陸奥の玉造り江で、漕ぐ舟のように、目立たないのよ、わたしは・君を恋しているけれど……みちの奥の玉造りえに、こくふ根が、ほに出ないのねえ、わたしは・君を乞いしているけれど)。


 言の戯れと言の心

「わすれ…忘れ…失念…思いを失くす…見捨てる」「きんだち…君達…親王または摂関家の子息等」。

歌「みちのく…陸奥…地名…名は戯れる、未知の奥、路の奥、女」「玉造り江…江の名…名は戯れる。真珠や宝玉のとれる江、玉で造られたような美しい江、玉のをんな」「江…女」「こぐ…漕ぐ…掻き分け進む…こく…体外に出す」「ふね…舟…夫根…おとこ」「ほにでる…目立つ…抜きん出る」「ほ…帆…穂…お…おとこ」「恋ふ…乞う…求める」。


 

江戸時代以来の学問的解釈は、「陸奥の玉造り江に漕ぐ舟の」を、「ほ」の「序詞」と名づけ、訳さない。そして「わたしは・目立つように表に出さないの、君を恋しているけれど」と言う歌だという。これを聞けば、小町本人も貫之も公任も俊成も、あきれ返って笑いだすだろう。

 

鎌倉時代(後掘河天皇の御代)に藤原定家が撰進した『新勅撰和歌集』恋一では、歌は少し変えられてある。わかりやすさのためだろう。この集を最後に、全ての和歌は、秘伝となって埋もれたのである。
 みなと入りの玉つくり江にこぐ舟の 音にこそたてね君を恋ふれど

(湊入りの玉造り江にこぐ舟の 音には立てない、君を恋しているけれど……水門入りの玉造りえに、こぐふねの音こそ、根さえ立てないのね、わたしは・君を求めているけれど)。


 言の戯れと言の心

「みなと…湊…水門…をんな」「水…女」「門…女」「江…女」「舟…夫根…おとこ」「ね…音(舟漕ぐ音)…声…根…おとこ」「ね…ず…打消しの意を表す」「恋ふ…乞う…求める」。



 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。