帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 19 いとせめて恋しきときは

2014-01-09 00:13:44 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも伝わるでしょう。



 小町
19


   かえし

いとせめて恋しきときはうば玉の 夜の衣をかへしてぞぬる

乳母などへの返歌……恋しい人への返歌

(たいそうせっぱ詰って、あの人が・恋しいときは、うばたまの夜の衣を返して寝る・夢に見えるかも……とってもさし迫って、君が恋しいときは、うばたまの夜の身も心も、寝返りして濡らす)。


 言の戯れと言の心

「うばたまの…夜・夢・黒・暗にかかる枕詞」「衣…心身の換喩…心身」「かへして…(涙に濡れたので・夢に見られるかもしれないので)衣を折り返して…(心身)寝返りして」「ぬる…寝る…寝てしまう…寝るしかない…濡る…(目の涙で・めのなみだで)濡れる」。

 

  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

 万葉集には、次のような歌がある。巻第十二 正述心緒 詠み人は男、

 白たへの袖折り反へし恋ふればか 妹が容儀の夢にし見ゆる

 (白妙の袖折り返し、恋いすればか、彼女の容儀が夢に、見える……白絶えの身の端折り反し、乞いしたからか、彼女の容姿振る舞いが、夢にだよ見える)。


 言の戯れと言の心

「たへ…妙…絶え」「そで…衣の袖…端…身の端…おとこ」「かへし…返し…反し…元に返る…折れたものが反る」「恋ふ…乞ふ」「容儀…容姿・振る舞い」。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。