帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 39 つゝめども 40 おろかなる

2014-01-30 00:04:28 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町
39


    あべのきよゆきがかくいへる

 つゝめども袖にたまらぬしら玉は 人をみぬめのなみだなりけり

安倍清行がこのように言った……安倍清行が(古今集の詞書によると或る法師の説教を聞いてそれをもとに小町に)このように言った、

 (包もうとも、袖に溜まらない真珠は、男に逢えないときの、貴女の・目の涙なのだなあ……つつんでも、貴女のもとに・留まらない白玉は、おとこに合えないという、をんなのなみだだったのだなあ)。


 言の戯れと言の心

「つつむ…包む…慎む」「しらたま…白玉…真珠…おとこ白玉…おとこのたましい」「人を…人に…男に…おとこ」「を…に…対象を示す…おとこ」「みぬ…見ぬ…逢えない…合えない…和合できない」「見…目で見ること…覯…まぐあい」「め…目…女…おんな」「なりけり…断定し詠嘆する意を表す…だったのだなあ」。

 

定まった男もなく、煩悩のおもむくままに生きていると見える小町に説教したのである。清行が蔵人か侍従の時と思われる。

このような忠告や説教に返した小町の歌が以下六首並べられてある。一首づつ聞きましょう。



 小町集 40
    
    とあるかえし

 おろかなる涙ぞ袖に玉はなす われはせきあへずたぎつせなれば

 とある事への返事……とある言への返答

 (愚かな女の涙が、袖に玉を為す、わたしは堰止められず、滝津瀬なので……おろそかで浅はかなおとこ涙が、身の端に白玉放す、わたしは塞き止められず、滾り流れる背の君なので)。


 言の戯れと言の心

 「おろか…愚か…知恵が足りない…煩悩のままに生きるもの…疎か…疎かである…いいかげんである…おとこの性そのものである」「そで…袖…端…身の端」「玉…涙の玉…おとこ白玉」「はなす…は為す…放す」「たきつ…滝津…滾る津…激しく流れる津」「瀬…浅瀬…背…男」。


 おろかなことになるのは、浅はかで激しい男のさがの所為よ。これが小町の返答である。


 

 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。