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帯とけの小町集
小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。
小町集 34
いそのかみといふ寺にまうでて日のくれにければ、あけてかへらむとて、かの寺に遍照ありと聞きて、こころみにいひやる
いはのうへに旅寝をすればいと寒し 苔の衣をわれにかさなむ
石上という寺に詣でて、日が暮れたので、明けてから帰ろうということで、この寺に遍照が居ると聞いて、こころみに言い遣る、
(岩の上に旅寝をすれば、とっても寒い、法衣をわたくしに貸してくださいな……女の身の上で旅寝をすれば、身も心も・とっても寒い、虚仮の心身を、わたくしに重ねて欲しいの)。
言の戯れと言の心
「いは…岩・石・磯…言の心は女」「上…女の敬称」「苔の衣…粗末な衣…法衣」「こけ…苔…粗末な…虚仮…実では無いさま…真ではないさま…俗世のさま」「衣…心身を包むもの…心身の換喩…身と心」「かさなむ…貸して欲しい…重ねて欲しい」「なむ…その事態の実現を強く望む意を表す」。
小町集 35
かへし
世をそむく苔の衣はただひとへ かさねばうとしいざふたりねむ
遍照の返歌
(俗世を背く法衣は、ただ単衣、でも、貸さなければ、冷淡だ、さあ、二人で寝ましょう……夜を背く男の、虚仮の心身はただ一重、重ねなければ冷淡だ、いざ、ふたりで寝よう・重ね重ねて)。
言の戯れと言の心
「世…俗世…夜」「苔の衣…粗末な衣…虚仮の心身…俗世の心身」「衣…心身を包むもの…心身の換喩…心と身」「かさねば…貸さなければ…重ねなければ」「ね…ず…打消しの意を表す」「うとし…冷淡だ…親密さなし…よそよそしい」。
長年かけて積んだ煩悩を断つための修行は、小町のこころみの誘惑によって、一夜にして、水の泡となったのだろうか。満たされぬ女の心と身を満たせるならば、いざ、我が身も心もを投げ出そうという歌のようである。
『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。
以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。
優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。
貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。
歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。