帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(32)折りつれば袖こそにほへ梅の花

2016-09-29 18:40:07 | 古典

               


                            帯とけの「古今和歌集」

                    ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
32


           題しらず             よみ人しらず

折りつれば袖こそにほへ梅の花 ありとやこゝにうぐひすのなく

(枝折ったので、わが衣の袖こそ匂う、梅の香、此処に有るのかと、鶯が来て鳴いている……夭折してしまったので、身の端こそ匂う、おとこ花の香、健在かと、此処に、憂く泌す女が、泣く・無くて)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「をり…折り…(梅の枝を)折った…(身の枝を)折った…おとこが夭折した」「折…逝」「つれ…つる…つ…完了したことを表す」「そで…袖…衣の袖…身の端…おとこ・おんな」「こそ…取り立てて強調する意を表す」「梅の花…木の花…男花…木の花の言の心は男…おとこ花」「あり…有り…在り…健在であり」「とや…疑いを表す…不確定に推定する」「うぐひす…鶯…春告げ鳥…鳥の言の心は女…浮く秘す・憂く泌す」「なく…鳴く…泣く…(健在では)無く…亡く」。

 

梅の花の移り香が匂う衣の袖に寄って来て、鶯が鳴いている風情。――歌の清げな姿。

おとこの、はかなない夭折で、お花の香は匂う、そこに、在りや、無しと、女がなく。――心におかしきところ。

 

男の歌として聞いた。歌は清げな姿をしている。同じ歌言葉の戯れの意味によって、おとこのはかないさが(性)が原因の、女性を無しやと泣かせる性愛の情況が顕れる。これが、公任のいう「心におかしきところ」である。


 国文学は、例外なく歌の「清げな姿」を解釈とする。そのような「をかし」くない「あはれ」でもない歌を勅撰集に撰ばない。というよりも、それだけでは、和歌ではないのである。 

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)