■■■■■
帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(15)
(寛平御時后宮歌合の歌) 在原棟梁
春たてど花もにほはぬ山ざとは ものうかるねに鶯のなく
(立春の日はきたけれど、花も色美しく咲かない山里は、もの憂い声で鶯が鳴いている……張る立てど、お花もいまだ匂はぬ、山ばのをみなは、もの憂くかるる根のために・もの憂い声で、憂く秘すが泣いている)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「春…はる…暦の立春…張る」「花…木の花…梅…男花…おとこ花」「にほはぬ…色美しく咲かない…匂わない」「山ざと…山里…山ばの女」「さと…里…言の心は女…さ門…おんな」「ものうかる…気が進まない様子で…辛そうな感じに」「かる…接尾語(ようすで)…涸る…おとろえる…離る…よそよそしくなる」「ね…音…声…根…小枝…おとこ」「に…(音)で…(根)のために…(根)により」「鶯…うぐひす…春告げ鳥…鳥の言の心は女…浮く秘す、憂く泌すなどと戯れる」「なく…鳴く…泣く」。
梅が枝のつぼみ、もの憂く鳴く鶯の声、山里の早春の風情。――歌の清げな姿。
張るたてど、つぼみのおとこ花、山ばのをみなは、ものうくかれる根のために憂く泌すが泣く――和合ならぬ有様は、歌の心におかしきところ。
在原棟梁は、在原業平の子。古今集巻頭の歌を詠んだ元方の父。歌の「心におかしきところ」は、大江千里の歌に優るとも劣らず奥深い。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)