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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(32)
題しらず よみ人しらず
折りつれば袖こそにほへ梅の花 ありとやこゝにうぐひすのなく
(枝折ったので、わが衣の袖こそ匂う、梅の香、此処に有るのかと、鶯が来て鳴いている……夭折してしまったので、身の端こそ匂う、おとこ花の香、健在かと、此処に、憂く泌す女が、泣く・無くて)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「をり…折り…(梅の枝を)折った…(身の枝を)折った…おとこが夭折した」「折…逝」「つれ…つる…つ…完了したことを表す」「そで…袖…衣の袖…身の端…おとこ・おんな」「こそ…取り立てて強調する意を表す」「梅の花…木の花…男花…木の花の言の心は男…おとこ花」「あり…有り…在り…健在であり」「とや…疑いを表す…不確定に推定する」「うぐひす…鶯…春告げ鳥…鳥の言の心は女…浮く秘す・憂く泌す」「なく…鳴く…泣く…(健在では)無く…亡く」。
梅の花の移り香が匂う衣の袖に寄って来て、鶯が鳴いている風情。――歌の清げな姿。
おとこの、はかなない夭折で、お花の香は匂う、そこに、在りや、無しと、女がなく。――心におかしきところ。
男の歌として聞いた。歌は清げな姿をしている。同じ歌言葉の戯れの意味によって、おとこのはかないさが(性)が原因の、女性を無しやと泣かせる性愛の情況が顕れる。これが、公任のいう「心におかしきところ」である。
国文学は、例外なく歌の「清げな姿」を解釈とする。そのような「をかし」くない「あはれ」でもない歌を勅撰集に撰ばない。というよりも、それだけでは、和歌ではないのである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)