帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (九と十)

2012-03-24 06:07:09 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首 (九と十)


 うめの花にほふ春べはくらぶ山 やみにこゆれどしるくぞありける 
                                      (九)

(梅の花匂う春べは、暗ぶ山、闇に越えても、山道はっきりわかったことよ……お木のはな、艶やかにふくらむころは、近しい山ば、闇夜に越えても、しっとり濡れたことよ)。


 言の戯れと言の心

 「うめ…梅…男木」「はな…花…木の花は男花…おとこ花…先端」「にほふ…あざやかに色づく…艶麗である…匂う…香る」「はる…春…春情…張る…ものがふくらむ」「くらぶ山…山の名、名は戯れる…暗ふ山…暗い山…比ぶ山…近しい山…親しい山」「やま…山…ものの山ば」「こゆ…峰を越える…(ものの山ばを二人して)越える」「しる…著る…はっきりしている…汁…しみでる液…じっとり濡れる」。



 いつはとはときはわかねど秋の夜ぞ もの思ふことのかぎりなりける 
                                      (十)

 (何時とは、時はわからないけれど、秋の夜よ、もの思うことの極致だった……出づとは、早くてわからないけれど、飽き満ち足りた夜よ、もの思うことの極みだったわ)。


 「いつ…何時…いづ…出る」「とき…時…疾き…早い」「あき…秋…飽き…厭き」「もの…物…いわく言い難いこと、もの」「かぎり…限り…限界…極限…極致」。

 


 貫之は、和歌教化の書『土佐日記』で、「くらぶ」という言葉を、次のように用いて、「比べる…近い…親しい」という意味もあることを示した。


 前国守一行が館より帰京の船に乗る所へ移った場面。「年頃、よくくらべつる人々なむ、別れがたく思ひて、日しきりにとかくしつゝ、のゝしるうちに夜更けぬ(数年来、ごく親しくしていた人々とは、別れ難く思って、一日中、あれこれしつつ騒いでいるうちに夜が更けてしまった)」。


 さて歌は、二人して峰こえる艶情。対するは、飽き満ち足りた極致。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず