帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子(跋文)この草子

2012-03-13 01:31:16 | 古典

  



                                    帯とけの枕草子(跋文)この草子



 清少納言枕草子(跋文)この草子

 

 この草子、目に見え心に思う事を、人やはみんとする(人々は見ようとするでしょうか、いや見もしないか……女たちは見ようとするでしょうかな)と思って、つれづれなる(することもない退屈な…つくづくと思いに耽る)里居の間に書き集めていたのを、あいにく、他人のために不都合な言い過ごしをしただろう所もあるので、よく隠して置いたと思っていたものを、心外にも漏れ出たのだった。

宮の御前に、内のおとど(その頃、内大臣伊周)が奉られたので、「これになにをかゝまし(この紙に何を書けばいいでしょう)、主上の御前には史記という文を書かせておられる」などと、仰せになられたので、「枕にこそは侍らめ(私ごときには、真暗でございましょう、無知なので……枕でございましょう・枕のみ知る人の思いでしょう)」「さは、えてよ(それならば、この紙を得てね、書きなさい……それならば、少納言の得手よね)」ということで賜されたので、あやしきを(何だか変だけど…妙なことだけど)、これやあれや何だかんだと、尽きることなく多い紙を書き尽くそうとしたのだが、いと物おぼえぬ事(まったく何とも思い出せないこと…なんだかはっきりしないことが)が多くあることよ。

 おおかたこれは、世中(世の中…男女の仲)で趣のあること、人々が「愛でたし」などと思うに違いない名のあるものを選び出して、歌なども、木、草、鳥、虫(の名について)も、言い出したものだけど、「おもふほどよりはわろし、心見えなり(作者が思っている程度よりもわるい、包まれてあるべき心が見えすいている)」と謗られるでしょう。ただ一心に、自ら思うことを戯れに書き付けたので、世間の読物にたち交じり、人並な普通の耳にも聞こえるものだろうかと思ったのに、「はづかしきなんどもぞ(恥ずかしいわ、こんなこと書くなんてなど…気が引けるほど、すばらしいわなど)」と、見る人は評価なさるので、いとあやしうぞあるや(まったく妙なことよ…ほんとうに不思議なものなのかな)。たしかに、それも道理、人が嫌うことがらを良しと言い、ほめることがらを悪いという私のような人は、心の程度が推し量られる。ただ、人に見えけんぞねたき(人にこの草子を見られたことが腹立たしい…人にわが心の内を見られただろうことが残念だ)。


 左中将(源経房)、いまだ伊勢守と申されていたとき、里にいらっしゃったので、端の方の敷物を差し出したところが、この草子が乗って出たのだった。とまどい取り入れたけれど、そのまま持っていらっしゃって、たいそう久しくあって返ったのだった。それより独り歩きはじめた。とぞほんに(と原本に)。    

 
 言の戯れと言の心

 「人やはみむ…反語の意を表す…人は見るだろうか、いや見ないだろう…疑問の意を表す…女たちは見るだろうかな」「つれづれ…することもなく退屈なさま…独り物思いに耽るさま」「まくら…真暗…まことの無明…まったく無知…枕言の枕…枕のみ知る人の思いそのもの…人に知られたくない溜息や歓喜の涙など沁み込んだ枕」「えてよ…得なさいよ…受け取りなさい…得手よね…得意よね」「心見え…裏の心が見え透いている…奥ゆかしさが無い」「恥ずかしき…顔が赤らむほど恥ずかしい…気がひけるほどすばらしい」。

 

 
 「まくら」という言葉には、多様な意味がある。「枕草子」の「枕」の言の心を、他人には知られたくない人の諸々の思いそのものであると心得て、古今和歌集の歌を聞きましょう。

 恋歌一

 涙河枕ながるゝうき寝には 夢もさだかに見えずぞありける 
 恋歌二

 しきたへの枕の下にうみはあれど 人をみるめはおひずぞありける

 恋歌三

 枕より又しる人もなき恋を 涙せきあへず漏らしつるかな

 知るといえば枕だにせで寝しものを ちりならぬ名のそらにたつらむ


 「うみ…海…涙の海…憂み」「みるめ…海藻…見る女」「見…覯…媾」「おひ…生え…感極まる」「な…名…噂…汝…もの」「そら…空…むなし」と「枕」などの「言の心」を心得て聞けば、いまひと塩、歌の味わいが違うでしょう。「言の心」は、歌によって育まれ共有されていた。

 


 源経房は、姉が道長室であるけれども、清少納言を「思い人」と冗談にせよ言った人。伊勢権守になったのは長徳元年(995)、殿(藤原道隆)が亡くなられた年。道長がのぼりはじめた年。これより数年、宮(定子)にとって悲惨なことが続いた頃。道長への恨みつらみも恥ずかしいことも、経房によって流布することになった。をかしきことは、広まらないと甲斐がない。これで、ほんとに読ませたい人々にも読まれるでしょう。諷刺は危険だけれど相手に刺さらないと面白くない。

経房はもとより道長を快く思っていなかったようで、後年、道長は我が子息にとって最も危険な人物と察知したのでしょうか。権中納言源経房は、治安三年(1023)、太宰権帥として任地にて亡くなられた。享年五十五。菅原道真のことを思い出す。


 
伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。