帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子(拾遺二十九)女房のまいりまかでには

2012-03-12 00:07:31 | 古典

  



                      帯とけの枕草子(拾遺二十九)女房のまいりまかでには



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけである。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺二十九)女房のまゐりまかでには

 
女房の参上退出には、他人の車を借りるおりもあるが、とっても快く言って貸したのに、牛飼童が、いつもの叱(しっと追う掛け声)

も、叱よりも強く言って(牛を)ひどく打つのも、あゝ普通ではないなあと思えるのに、車副いの男どもが、むつかしそうな気色して、「早くやれ、夜が更けないさきに」などというのこそ、主人の心が推しはかられて、再び(貸してなどと)言って、この事に触れようとも思わない。
 なりとをのあそんの車のみや、夜中あかつきわかず、人ののるに、いさゝかさる事なかりけれ。ようこそをしへならはしけれ。それに、みちにあひたりける女車の、ふかき所におとしいれて、えひきあげで、牛かひのはらだちければ、ずさしてうたせさへしければ、ましていましめをきたるこそ(業遠の朝臣の車だけかな、夜中暁を分かたず、他人が乗るのに、いささかもそのような事はなかった。よくまあ使用人を教え習わしたことよ。それに、道で出会った女車が深い所に車輪を落とし入れて、引き上げられずに、牛飼が腹立てていたので、従者して、牛に鞭打たせたりもしたので、まして自らの牛飼は日ごろから戒めているのだ……業遠の朝臣のものだけかな、夜中あかつき分かたず、人がのるときに、いささかも、そのような急ぐことはなかった。よくまあ、ものに教え馴らしたことよ。それに、山ばへの道すがら、合った女の来る間が、深い所に落ち入って山の頂に上げられず、憂し貝が腹立てたので、従者して、子の君を鞭打たせさえしたので、女は増して井間締めて、起きた、子ぞ)


 言の戯れと言の心

 「車…しゃ…者…もの…おとこ…くるま…来る間…山ばなど来る間」「牛…うし…憂し…つれない」「かひ…飼い…貝…女」「まして…増して」「いましめ…戒め…井間しめ」「井間…おんな」「しめ…絞め…締め」「こそ…強調する意を表す…子そ」「こ…子の君…おとこ」。



 中関白家の衰退が決定的になれば、関係者に対する冷ややな世の風は、牛飼童の態度や言葉にも表れる。その頃、宮の母上(高階貴子)と、その父高階成忠が相次いで亡くなった。高階業遠は、高内侍(宮の母上)のいとこで、今やただ一筋の味方。

 業遠の物を愛でるのは、余りの情、心におかしきところ。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。