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帯とけの新撰和歌集
言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿のみ。藤原公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。紀貫之の云う「艶流、言泉に沁みる」を実感できるでしょう。帯はおのずから解ける。
紀貫之 新撰和歌集 巻第一春秋 百二十首(十九と二十)
梅が枝にきゐるうぐひす春かけて なけどもいまだ雪はふりつつ
(十九)
(梅が枝に来ている鶯、春だと声に出して、鳴くけれども、未だ雪は降りつづいている……おはなの枝に気入る、浮くひすひと、心の春を思って泣けども、未だ白ゆきはふりつづく)。
言の戯れを知り貫之のいう「言の心」を心得ましょう。
「梅…木の花…男花」「枝…木の枝…身の枝…おとこ」「きゐる…来て居る…気入る…心が入っている…その気になる」「うぐひす…鶯…鳥…女…浮く漬す」「春…春情」「かけて…声に出して…願って…めざして…強く思って」「なく…鳴く…泣く」「雪…白…おとこ白ゆき…おとこの情念」「つつ…してはまたする…反復を表す…し続ける…継続を表す」。
ちぎりけん心ぞつらきたなばたの 年にひとたびあふはあふかな
(二十)
(契った心ぞ、気の毒で心苦しい、七夕星が年に一度、逢うのは合うのだなあ……ちぎり結んだ心ぞ薄情、七夕星のように、疾しにひととき合うは、和合なのかあゝ)。
「ちぎり…約束…誓い…男女の交わり」「つらき…薄情だ…他人ごとながら辛抱できない…心苦しい」「たなばたの…七夕星が…七夕星のように」「あふ…逢う…合う…一つになる…和合する」「かな…だなあ…だことよ…感動の意を表す」。
清げな早春の景色に包まれてあるのは、和合の艶なる情況。対するは、清げな七夕の夜の景色に包まれてあるのは、疾しひと時ながら和合の感動的情況。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず