七技会のひろば

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特集「中央学園での思い出」その1

2022年11月28日 | お話サロン

     特集「中央学園での思い出」その1


  皆さんに特集「中央学園での思い出」の原稿投稿を呼び掛けたところ、
 早速たくさんの方々がご応募下さいました。特に今回は、第七回業務科の
 方々にもご参加していただこうと、これまでとは異なったことを企画した
 ところ、業務の東さんが参加して下さいました。ありがとうございました。
  募集の際に申し上げました通り、当方への到着順に掲載しました。
  存分にお楽しみください。


  注:このブログには、1回3万字以下の制限があるため、やむを得ず
    その1からその3の3回に分けました。その2及び3の方も是非
    ご覧下さい。
    その1には、近藤(隆)さん、吉田さん、田中さん、業務の東さ
    ん、
    その2には、友野さん、波多野さん、中本さん、近藤(繁)
    さん
    その3には、松戸さん、三上さん、松原さん、と米田を
    それぞれ掲載しています。

 


             中央学園での思い出

                    七回技術科一組 近藤(隆)さん
  60年前の事ですから、既に記憶の主体はかなり擦り切れ、焦点もぼけ、信
 憑性の保障は無いことをご了承ください。
  入社前、大学受験を袖にされ、途方に暮れていた頃に、幾らかの欲求不満を
 補完する効果を期待しての学園入学でした。
  しかし、学園での講義は、一流大学の教授陣揃いで、私の知能レベルでは容
 易に理解を許されませんでした。
  そんな閉塞感を切り開き、癒していただいたのは、絵画クラブの活動という
 と課外ですが、絵の先生は、田村先生(芸大卒の画家)でした。一応絵の練習
 は、デッサンという作業で、4Bの濃い鉛筆で石膏像の描写に明け暮れ、偶に
 は、景勝地へスケッチ旅行を楽しむひと時でした。
  殊に印象強く覚えているのは 、田村邸は公社社宅で狭いのに、クラブ生を快
 く受け容れていただき、大勢でよくお邪魔させて頂きました。そして、ご馳走
 になり、酒宴になり、人生訓の数々を承りながらの歓談に明け暮れました。
  画家を目指していた訳でもないのに、なんで飽きもせずに通えたのか。それ
 は人生百般に亘る教養のほとばしりともいえる、数々の人生訓を承える貴重な
 時間であったからです。
  絵画に絞っても、一幅の絵を描くには、絶えず描く対象物と反対側(対角線の
 反対側)との調和をよく気遣え」という鉄則のような教えでした。これは、社会
 生活にも通用する原則でもある、と後々まで忘れずに覚えています。
  絵心は単純ではなく、色彩と構図の調和も大事で、多岐に亘る思考と理念の
 創作品とでも言えるかとも思いますが、普段展覧会などで、絵画の前に立って
 も、そんなことに考えは及ばないものです。
  私には、極めて貴重な絵画クラブ活動の一時であった、と感慨に耽ります。
                               以上
                                


            「八回生歓迎会」の裏話

                       第七回技術科一組 吉田さん
  学園生活も二年目に入って、間もない頃、大食堂で「八回生歓迎会」を実施
 することが決まりました。
  山内さんを中心に「折角だから何か奇抜なことをやろうじゃないか」という
 話になり(山内さん、間違っていたらごめん)「女装のストリップ」に決まり
 何故か私に白羽の矢が立ってしまいました。
  やるからにはと、なけなしの財布をはたいて 日劇ミュージックホールも下
 見してきましたが、一番困ったのは女性の着物を調達することでした。
  当時 絵画部の講師をお願いしていました田村先生の奥様(医務室勤務)に
 お願いしたところ、快く引き受けて頂き 着物一式とお化粧品までお借りする
 ことができました。
  当日は、ミュージック・照明の準備よろしく。食堂の一階ホールに登場、ラ
 イトを浴びながら階段を上り、二階の喫茶ホールで、ミュージックに合わせて
 着物を脱いでいきました。 最後、裸になると身体には「祝 八回生歓迎」の
 軸が垂れてーーーーーーTHE END 。(シナリオ通りでした)
  後日、田村先生のお宅で、お酒を戴きながら 先生と奥様に冷やかされたこ
 とも今は楽しい思い出です。
  絵画部は 全員が田村先生ご夫妻に親身になってよくしていただきました。
  今は、向うで相ちゃんとも一杯やっているのではないでしょうか。  合掌
                                以上



 
             「中央学園の思い出」
 
                       七回技術科二組 田中さん
  改めて学園の思い出となると少し重くなりますが、恵まれた環境の下、勉学
 をはじめ全国の皆との触れ合いが出来たこと、私にとって学園はまさに「中央
 楽園」そのものでした。
  在学2年間の思い出となると夏休みの山登りですかね。入学前九州の山はほ
 とんど登っておりましたので、この際、何か残ることは山登りがあるなあと思
 いを重ねました。
  1年目は北アルプスの縦走でした。燕岳から槍、穂高を5人のパーティで尾
 根縦走を十分楽しみました。しかし、終日に上高地に下りて来ましたが、山の
 天気は変りやすく土砂降りの雨となって交通機関も全面ストップの状況でした。
  一般の多くの登山客が各家の軒下で直立不動で雨をしのぎ一夜を過ごそうと
 している光景を目の当たりにしこれは大変だと思ったら、メンバーの一人がこ
 こには我が社の夏山テント村があるはずだ!と、その管理を帝国ホテルの現地
 関連ホテルがやっていると聞き早速ホテルに行きましたら、「管理用テント一
 張りがあるのでどうぞお使い下さい」とのこと本当に助かり皆で喜んだことを
 覚えております。
  2年目の夏休みです。この時は日本の顔である富士登山です、一度は登って
 おきたいと募ったら6人のパーティが出来上がりました。
  天の邪鬼じゃありませんが一般の登り口3合目(現在は5合目かな)からで
 は面白くない、1号目(富士吉田口)から登ることにし夕方6時頃から徹夜で
 登り始め明朝4時半頃に目的であるご来光祈願をしたことでした。
  たまたま、当日は厚い絨毯の雲海でそこからの日の出はその雄大さに気をと
 られたものでした、山頂のお鉢巡りの後は一路須走ルートを経て帰路につきま
 した。
  後述ですが上高地は40数年後に再びバスツアーで妻と訪れる機会があり河
 童橋からの奥穂、涸沢を眺め大正池など懐かしく観光に浸ることが出来ましが、
 富士山は一回で十分と思いました。
                               以上




          こんなに勉強したんだ!?

                        七回業務科二組 東さん
  お誘いにのって初めて「ひろば」に訪問させていただく七業会の東です。学
 園寮では、井口さん、飯島さん、早野さん、水野谷さんと同室でした。初訪問
 とあって、かしこまって選択した「思い出」は「勉強編」からになりました。
  その思い出を写真に撮ってみました。
  写っているのは、卒業してから今日まで数多くの転居にも失うこと無く持ち
 歩いて、今も自宅で同居している学園時代の講義受講ノート41冊です。
  ミナトコウベの一隅で電報送受にいそしんでいた一有線通信士が、希有の機
 会を得て、最高学府の碩学をはじめ多くの講師から直接教えて頂いた記録は捨
 てがたく、形ある思い出となって、いつも目の届くところに座しております。
  岩崎東大教授の哲学冒頭の言「哲学とは何か。わけのわからぬ学問である。
 その名を聞くだけではわからぬものである。」、鎮目東大講師の物理学最終講
 義の言「宇宙を支配する法則。物理学とはその法則の発見のためにある。」な
 どなど思い出満載のノートです。          
  八尾さんと一緒に編集した学園卒業アルバムの講師写真ページを併せて開く
 と、半世紀を超えて往時が鮮やかに蘇り、マイ脳内メタバースの世界でひとと
 きを過ごせます。

    

                                 以上


    この先は「中央学園での思い出」その2、その3に
                       続きます。
    その2では、友野さん、波多野さん、中本さん、
              そして、近藤(繁)さん、を、
    また、その3には、松戸さん、三上さん、松原さん、
             そして米田を、掲載しています。
    そちらも是非ご覧下さい。





 


          

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