七技会のひろば

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文学

2012年05月09日 | お話サロン
文学

教科書や図書館以外の自分で買った本や雑誌で「純文学」というジャンルに初めて接したのが、
月刊誌「文芸春秋」昭和31年3月号であった。
この号は人気爆発の芥川賞受賞作品が掲載されたための売り切れだった。
やや遅れて増刷版を購入して石原慎太郎の「太陽の季節」を読んだ。
ふーん、これが純文学? ふーぅうーん。

それからいっときして、守随先生の「文学」の講義を聴く身になった。

先生のお話で頭に残っているのは、近松門左衛門とその作品を身近な物語として語っていただいたことである。
当時の教科書もノートも残っていないが、不思議と声色混じりの講義の様子を覚えている。
作品では「曾根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」。
その主人公は「お初と醤油屋の手代徳兵衛」「紙屋治兵衛と遊女小春」「河内屋与兵衛と馴染み女郎小菊」。
語りでは「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」、
道行最後の結び「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」等など。
不思議と記憶の底に残っている。

先生のインターネット情報には、次のように記されていた。
お名前は「守随憲治」
当時50歳代の半ば
(東大教授を退官して)実践女子大教授(後に学長)
昭和58年にご逝去
「浄瑠璃、歌舞伎など近世劇文学の研究で有名、特に『役者論語』の注解で高い評価を受けた」


では「役者論語」とは?
「やくしゃばなし」また「やくしゃろんご」とも。
八文字屋自笑の著作で1776年(安永5年)に書かれ、
元禄期の名女形芳沢あやめ、和事師の祖とされる初代坂田藤十郎など、名人上手と称せられた歌舞伎役者たちの語った心得や逸話を集めた芸談集らしい。例えば「(歌舞伎の舞台で)傾城買いの舞台に脱ぎ捨てる草履が大きくては見物は興醒めである。」などと。

今にして思えば、仙川界隈の外には大きな世界が広がっていたのだった。
当時、自分の頭の中では「文学=余技」の等式が鎮座していて、
業務科に来て居られた「塩田良平」先生の授業に潜入する才覚が働かなかった。
それをやっていれば違う世界の空気を吸っていたかも知れないと残念に思うが後の祭りではある。



2012.05.09 米田書き込み