足踏み脱穀機
農大「食と農」の博物館に、足踏み脱穀機が展示してありました。私も子どもの頃に田舎で目にしたことがありましたが、使われるところは見たことがありませんでした。
秋に収穫されたお米を、稲穂から外す人力道具です。ミシンのように下の板を踏むと、ドラムが回転して歯に当たり、稲穂から籾が外れるという仕掛け。単純な道具ですが、労力削減のありがたい機械だったのです。
これが登場したのは大正時代。当時、自転車が普及し始め、たまたま通りかかった自転車の車輪が稲穂に当たって籾が飛ぶのを見た農民が、「これだ!」と思いついたそうです。必要は発明の母なり。やがて各地へ広まっていきました。
今も、古い農家の納屋にはあるのではないでしょうか。私の祖母もそうでしたが、農家は道具を大切に扱い、古くなっても捨てずに取って置いたものです。鍬一本にしても、歯が欠ければ打ち直して使われたので、古い物はいつの時代のものかわからないくらい。
村には鍛冶屋がありましたから、そこで直すのです。私の田舎にも、仕事はもうしていないのに、ずっと鍛冶屋と呼ばれる家がありました。子供心にふしぎな感じがしていましたが、今になってその意味がわかります。村人にとって、なくてはならないのが鍛冶屋さんだったのです。農具は、私たちが口にする食物を生むための大事な道具です。農家の納屋にはそんな道具がまだ残っているかもしれません。
農大「食と農」の博物館に、足踏み脱穀機が展示してありました。私も子どもの頃に田舎で目にしたことがありましたが、使われるところは見たことがありませんでした。
秋に収穫されたお米を、稲穂から外す人力道具です。ミシンのように下の板を踏むと、ドラムが回転して歯に当たり、稲穂から籾が外れるという仕掛け。単純な道具ですが、労力削減のありがたい機械だったのです。
これが登場したのは大正時代。当時、自転車が普及し始め、たまたま通りかかった自転車の車輪が稲穂に当たって籾が飛ぶのを見た農民が、「これだ!」と思いついたそうです。必要は発明の母なり。やがて各地へ広まっていきました。
今も、古い農家の納屋にはあるのではないでしょうか。私の祖母もそうでしたが、農家は道具を大切に扱い、古くなっても捨てずに取って置いたものです。鍬一本にしても、歯が欠ければ打ち直して使われたので、古い物はいつの時代のものかわからないくらい。
村には鍛冶屋がありましたから、そこで直すのです。私の田舎にも、仕事はもうしていないのに、ずっと鍛冶屋と呼ばれる家がありました。子供心にふしぎな感じがしていましたが、今になってその意味がわかります。村人にとって、なくてはならないのが鍛冶屋さんだったのです。農具は、私たちが口にする食物を生むための大事な道具です。農家の納屋にはそんな道具がまだ残っているかもしれません。