「思」という漢字をよくみると、田と心の二文字で作られている。どういう意味か、私流の解釈。田の心で、思う・・・田んぼは、春に育苗、田おこし作業をして、初夏に田植え、夏に草取り、秋に米を収穫する。つまり年間を通しての農作業である。農に生きる民は、年柄年中、田に心を寄せて生きている。それが、「思う」ということだ。
おたくの先祖は?と聞くと、ああ、どこどこの百姓の出ですよといった返事が大抵である。つい半世紀前までは皆そうだった。もっとむかし、家系が武士階級であっても田畑を作っていたから、生きる根本は農なのである。わらわれ農耕民はこれを何千年と繰り返して生きているのである。思うということにかけては歴史が長いのである。
5月は田植えのシーズンだ。都会の中にいては見えないが、今頃は忙しい。夜中になって、田に水が回っているか気になって布団を出て夜回りにいくなどということもする。田へ心を寄せて生きる姿が思うということだと。茶碗の底をみて、米粒を残すと目が潰れると云ったのは祖母だった。その祖母に連れられて草取りへ行ったことを思い出す今日この頃である。
おたくの先祖は?と聞くと、ああ、どこどこの百姓の出ですよといった返事が大抵である。つい半世紀前までは皆そうだった。もっとむかし、家系が武士階級であっても田畑を作っていたから、生きる根本は農なのである。わらわれ農耕民はこれを何千年と繰り返して生きているのである。思うということにかけては歴史が長いのである。
5月は田植えのシーズンだ。都会の中にいては見えないが、今頃は忙しい。夜中になって、田に水が回っているか気になって布団を出て夜回りにいくなどということもする。田へ心を寄せて生きる姿が思うということだと。茶碗の底をみて、米粒を残すと目が潰れると云ったのは祖母だった。その祖母に連れられて草取りへ行ったことを思い出す今日この頃である。