『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

思わぬ展開2

2009年05月26日 13時24分47秒 | 未知への扉
昨日の記事で、石川と富山県境の倶利伽羅峠の話を書きました。そこは「くりから古戦場」で、源氏の木曽義仲が平家を討った「火牛の計」の地でした。では、なぜ私が、その地で源平和合の祈りなどをしたのか。少しご説明しますと、郷里広島の石内村に先祖代々住む我が本家は、源氏とゆかりのある家だからです。

源範頼(頼朝の弟)は、平家追討の大将として義経と共に戦い、最終決戦を壇ノ浦で迎えました。その出陣の手前で本家に陣を張ったと伝承が残っています。陣を張るとは、戦いの前に休息を取り作戦を練り、武具などを修繕し、物資を調達する期間のことです。本家でそれらをおこなったということは、まあ、源氏方ということになります。明治時代、地域の八幡宮に合祀されるまで屋敷地に「範頼神社」を祀っていたと聞いています。

そういう謂われのある家ですから、源氏方の末裔として、平家供養・源平和合を祈るのは、当然の事と思っています。日本の歴史の中で源平の時代ほど戦火が絶えなかった期間はなく、また、その因縁は各地に及んでいます。千年も昔の話ですが、やはり浄化の「感謝供養」は必要なことというのが私の考えです。私はシャーマンではないので、ご神託が降りるということはありませんが、それでも昨日書いたように、不思議な導きはあります。縁あって旅する地には、そういう場所があり、そういう場合は素直に供養させていただいております。

私はどこかの宗教組織に所属する者ではないので、シンプルに「感謝供養」をおこなうだけです。この供養は、今、自分が生きておられるのは、敵味方に関わらず、すべて先人の方々のお陰あってのことと、「生かして頂いて ありがとう御座います」と感謝の念を送るのです。この感謝想起の祝詞(のりと)は、伊勢白山道という方がブログで紹介しておられ、それに感応して以来、使わせて頂いております。シンプルですが、とても深い祝詞で、唱えるとスッキリします。ですから、ある意味、自分がスッキリするために奏上しているような節もあります(笑)。また、生きている者どうしでも、心底から「ありがとう」を言う方に出会うと、とても嬉しい気持ちになりますね。自分もそうありたいと思いながら旅をしているということにもなります。さて、明日は、高野山で感じた話をさせて頂くことにしたいと思います。