『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

宮古島のシャーマン1

2009年05月14日 20時58分14秒 | 宮古島のシャーマン
宮古島は沖縄本島から南西へ約300キロ離れた離島だ。飛行機から眺めると、平たい皿を伏せたような感じの珊瑚礁の島である。ダイビングの好きな人なら馴染みのある島だろう。島民は約5万5千人。中心市街地は宮古島市(旧平良市)で、ちょっとした賑わいがあるが、港前の観光ホテルを除けば、ビルらしい高い建物は少ない。

街の中心地に、ガジュマルの大木が茂った場所があり、コンクリート製の鳥居が立っている。島の創世神、クイツノ(男神)・クイタマ(女神)を祀る「漲水(はりみず)御嶽(うたき)」と呼ばれる島の重要な聖地である。その中央にコンクリート造りの瀟洒なお社があるが、本土の神社の様相とは異なり、中には畳一枚ほどの四角い香炉台が置かれている。時折、その前に座って一心不乱に拝む女の姿がみられ、線香の煙がもくもくと立ちこめている。島内の村々にも大小さまざまな御嶽があり、部外者の立ち入りを禁ずる聖地も多い。

その御嶽が、島でカンカカリャと呼ばれるシャーマンたちの拝みの場だ。カンカカリャというのは、大和言葉に直せば、「神がかる人」といった意味である。多くは女性だが、生まれ持っての能力が備わった人が、ある時期がくると神がかる。だが、カンカカリャになるには前段階がある。ある日、いきなり高熱が出て動けない状態となったり、また、夢遊病者のようにもなって、平常の自由を奪われるという。その度合いや期間は人により異なるが、数ヶ月から数年も続く。民俗学では、これを巫女病(ふびょう)というが、その苦しさは想像を絶するといわれる。それがカンカカリャとなる扉で、「神の道を開く」と表現される。神の道を開き、カンカカリャとなり、神の使いとして生きるようになるのだ。

いつの時代からカンカカリャが誕生したのか、歴史には記録がない。島に人が住み始めたときからと考えるのが妥当だろう。幾たびとなく研究者らも訪れ、民俗学や宗教学の研究をしている。学術的には原始宗教とされるが、実際を知ると宗教と呼ぶには違和感を覚える。島の村内になくてはならない存在だが、宗教団体のような組織化された何かがあるわけではない。島内の祭りは、司(つかさ)と呼ばれる祭主と神女(しんにょ)らがおこない、カンカカリャの役とは一線を画している。

では、カンカカリャの役とは、なにか。筆者が12年前に出会った50代女性のカンカカリャNさんの言葉を借りれば、「神との通信役」だという。自宅の祭壇や御嶽に座して、神の声を聞き、それを伝える役目である。なにを伝えるのか。聞くべきことがある、縁のある人へ、その人がその時点で最も必要とされる話だ。それが、ほんの二言三言で終わる場合もあれば、延々と数時間にわたることもある。そして、それを初めて聞く者は、大方の場合、なぜ、それがわかるのだろうかと不思議な気持ちになるところから、体験が始まるのだ。
(つづく)