今年も、もう12月。残りわずかになってきました。
平成30年12月。
サキさんが「アルツハイマー型認知症」と診断されたのが、平成20年12月。
丸10年過ぎました。
平成21年1月のサキさん。診断されて数カ月。一緒に平等院へ行った時。
この頃は、まだ仕事も続けていました。時々、迷って帰ってこれなくなる時もありましたが。
平成23年4月のサキさん。
実家の西尾市へ帰った後に、名古屋の鉄道博物館に行った時の一枚。
この時には、通勤が出来なくなり、仕事は前の年の9月ごろにやめていました。
いきなり飛んで、平成26年7月のサキさん。
介護保険を利用し始めて2年。
平成24年6月に申請。要介護1。
平成25年3月、介護認定を申請し、要介護3に。(デイの利用回数を増やすため、認定の申請をしました)
平成26年5月、要介護5になりました。
この写真の頃は、一番荒れていた頃です(私も)。この間の写真はあまりありません。私自身に(写真を撮る)余裕が全くなかったことが分かります。
平成26年10月。医療保護入院を経て、初めて老健に入所。とても寂しそうな目をしています。
老健を6カ月で退所。1ヶ月の在宅介護、3カ月にわたる2度目の入院。そして平成27年9月。現在の特養さんに入所。入所当初は穏やかな表情の日も多くありました。
そして、平成30年11月のサキさん。
介護保険を利用する前後、そして施設を利用するようになって一気に進行した気がします。
インフルエンザと私のきつい対応。さらにサキさんの仕事を奪い続けたことが、サキさんの進行を早めました。(たぶん、これは間違ってないと思います)今さら悔やんでも仕方ありませんが、悔やみ続けることで、その後悔の気持ちを言い続けることで、少しでもこれからの人の参考になれば、そんな気持ちでいます。
これから、あと何年、この生活が続くか分かりませんが、仕事とサキさんの食事介助と、家族の会の活動と、出来る範囲でいろんなものに関わっていこうと思っています。
平成30年12月。
サキさんが「アルツハイマー型認知症」と診断されたのが、平成20年12月。
丸10年過ぎました。
平成21年1月のサキさん。診断されて数カ月。一緒に平等院へ行った時。
この頃は、まだ仕事も続けていました。時々、迷って帰ってこれなくなる時もありましたが。
平成23年4月のサキさん。
実家の西尾市へ帰った後に、名古屋の鉄道博物館に行った時の一枚。
この時には、通勤が出来なくなり、仕事は前の年の9月ごろにやめていました。
いきなり飛んで、平成26年7月のサキさん。
介護保険を利用し始めて2年。
平成24年6月に申請。要介護1。
平成25年3月、介護認定を申請し、要介護3に。(デイの利用回数を増やすため、認定の申請をしました)
平成26年5月、要介護5になりました。
この写真の頃は、一番荒れていた頃です(私も)。この間の写真はあまりありません。私自身に(写真を撮る)余裕が全くなかったことが分かります。
平成26年10月。医療保護入院を経て、初めて老健に入所。とても寂しそうな目をしています。
老健を6カ月で退所。1ヶ月の在宅介護、3カ月にわたる2度目の入院。そして平成27年9月。現在の特養さんに入所。入所当初は穏やかな表情の日も多くありました。
そして、平成30年11月のサキさん。
介護保険を利用する前後、そして施設を利用するようになって一気に進行した気がします。
インフルエンザと私のきつい対応。さらにサキさんの仕事を奪い続けたことが、サキさんの進行を早めました。(たぶん、これは間違ってないと思います)今さら悔やんでも仕方ありませんが、悔やみ続けることで、その後悔の気持ちを言い続けることで、少しでもこれからの人の参考になれば、そんな気持ちでいます。
これから、あと何年、この生活が続くか分かりませんが、仕事とサキさんの食事介助と、家族の会の活動と、出来る範囲でいろんなものに関わっていこうと思っています。
サキ夫さんの事例を参考に,妻が少しでも長く今の状態を保持できるよう,精進します。
要介護5の母を自宅介護しています。
ご自分を、責めないでくださいね。
私は、母に手を上げてしまった事があります。もう少し元気な頃でしたが、今では、会話が成り立たなくなってしまい、とにかく母には笑顔で接するように心掛けています。
特養さん、とさん付けで書かれているのは、優しいお人柄が出てるなと、思います。
サキさんが急激に進行したのは、間違いなく私に一因があります。すべてではないかもしれませんが、私の対応が原因の一つです。自分を責めているわけではありません。ただ、そのことを皆さんに知ってほしいだけです。穏やかな笑顔での対応をぜひしてほしいから。
幸い、サキさんはまだ頑張っていますので、生きているうちに、もうひと頑張りして受けた恩を返したいと思っています。
A子さんとサキさんの違いは、介護保険利用の前に、ちゃんとした居場所(ボランティアできる場所)がある事と、一番身近にいるはずのB男さんと私の認知症に対する理解の差だと思います。全く何も考えず、介護保険利用までサキさんにまかせっきりだった私。私の手に負えなくなるまで、ぼ~~っと過ごしてしまいました。しかも、自分の感情に任せて。
やっぱり、笑顔と余裕を持った対応が一番だと改めて思います。
会話は出来なくなっても、ちゃんと聞いているみたいです。いっぱいの笑顔で声掛けされているんでしょうね。私も笑顔でがんばります。特養さんには「さん」付けましたけど老健さんには、忘れてしまいました。老健さん、ごめんなさい。