パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

「諫鼓鶏」を見つけました!

2017年01月30日 | 日記
今年の干支に因んで話題になった天寧寺の「諫鼓鶏」石像ですが、他でも見つけました。
間違いなく「石燈籠」として…。
鬼やらいの神事を見に、八幡の「石清水八幡宮」に行ってきました。
境内を散策していると、「東総門」近くに寄進された「石燈籠」が博物館のように並んでいました。



眺めていてビックリ、あの「諫鼓鶏」の燈籠が…
鶏の頭部は欠けていますが間違いありません。

  
石清水八幡宮の「諫鼓鶏」

 
天寧寺の「諫鼓鶏」


違いもあります。
鶏の向きが左右異なるところ、三つ巴も左右異なります(時計回り、反時計回り)。
石清水八幡宮の御神紋は「流れ左三つ巴」ですから燈籠と一致しています。

『巴は橘とともに当宮の御神紋であり、御本殿の彫刻を始め軒瓦など各所に見られます。
当宮の巴は「流れ左三つ巴」であり、いつの時代に何故御神紋になったのか定かではありませんが、
尾が長い文様ほど古いとされています。
幣殿の蟇股には4つの巴紋の彫刻が施されていますが、実は1つだけ右巴があります。
これは、社殿を完成させてしまうと、あとは朽ちるのを待つことになり、
あえて未完成の箇所、間違いの箇所を造ることにより、
まだその社殿が未完成であり、益々の発展を遂げるという願いと縁起が込められているとされています』
                                           (HPより)


古さでは石清水八幡宮の燈籠だと思いますが…頭部がなくて残念です。
燈籠と言えば「春日大社」の様々な形状の燈籠を思い浮かべますが、ここでの有無には気が付いていません。

しかし、寄進者の意が反映しているのなら、燈籠のパターンの一つとして他にもあるかもしれません。
少し燈籠について調べてみると面白いかも…。

おまけ
石清水八幡宮の燈籠の背景の壁ですが、「信長塀」と言うそうです。
本殿を取り巻く塀ですが、『織田信長公寄進と伝わり、
瓦と土を幾重にも重ねることにより、銃撃や耐火性、耐久性に優れていたとされている。』(パンフレットより)
耐火、耐久性は確かでしょうが、何故「銃撃」が想定されているのか…?
過去に南朝・北朝の合戦である「八幡の戦い」が起こっているが、
信長公寄進なるが故に、要衝として山城転用?の意があったと思い巡らすのは罰当たり!

コメントを投稿