2.上 社
(参拝のしおりより)
一の石鳥居 二の石鳥居 神号標「高靇大神(たかおかものおおかみ)」
拝殿 左右に狛馬 掲額「神雨霑灑(しんうてんさい)」
左右の狛馬
由緒
拝殿内部
側面より本殿・拝殿
元境内地遥拝所
(参拝のしおりより)
参拝のしおり
御末社 愛宕社 恵比須神社 水神社
水 神 社 御祭神 弥津波能売神
恵比須神社 御祭神 大国主神 事代主神
愛 宕 社 御祭神 火武須毘神
三末社の左右の狛犬
御末社 山之神社 御祭神 大山祇神
御朱印
境内地は、昭和三十四年の伊勢湾台風による大滝ダム建設に伴い水没のやむなきこととなり、
天下万民の幸福のため、対岸の山の中腹の現在地に平成十年三月にご遷座しました。
その後に行われた県立橿原考古学研究所による元境内地の発掘調査の結果、
本殿基壇の直下から数期にわたる神社関連遺構(宮の平遺跡)が検出され、
奈良時代後半から平安時代前期頃に祭場として意識され、
平安末期から鎌倉初頭には社殿が建立され、その後造替を繰り返して
現代までに奉祭され続けてきたことが明らかにされました。
「延喜式」に名が見える古社の全面的発掘は初めてのことで、
神社・社殿建築の歴史・展開を考えるうえで貴重な事例とされています。
天下万民の幸福のため、対岸の山の中腹の現在地に平成十年三月にご遷座しました。
その後に行われた県立橿原考古学研究所による元境内地の発掘調査の結果、
本殿基壇の直下から数期にわたる神社関連遺構(宮の平遺跡)が検出され、
奈良時代後半から平安時代前期頃に祭場として意識され、
平安末期から鎌倉初頭には社殿が建立され、その後造替を繰り返して
現代までに奉祭され続けてきたことが明らかにされました。
「延喜式」に名が見える古社の全面的発掘は初めてのことで、
神社・社殿建築の歴史・展開を考えるうえで貴重な事例とされています。
(参拝のしおりより)
一の石鳥居 二の石鳥居 神号標「高靇大神(たかおかものおおかみ)」
拝殿 左右に狛馬 掲額「神雨霑灑(しんうてんさい)」
左右の狛馬
由緒
拝殿内部
側面より本殿・拝殿
元境内地遥拝所
(参拝のしおりより)
参拝のしおり
御末社 愛宕社 恵比須神社 水神社
水 神 社 御祭神 弥津波能売神
恵比須神社 御祭神 大国主神 事代主神
愛 宕 社 御祭神 火武須毘神
三末社の左右の狛犬
御末社 山之神社 御祭神 大山祇神
御朱印