パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

法隆寺「涅槃会」

2019年02月18日 | 日記
お釈迦様が入滅(亡くなられた)された日である2月15日に、世界遺産である法隆寺の大講堂で「涅槃会(ねはんえ)」が行われました。
涅槃会は、京都の寺院では旧暦の3月15日に行われるところが多いようですが、興福寺など奈良では2月15日が多いようです。

1711年に西岸寺の明誉古澗が描いた大涅槃図「大涅槃像八相成道絵像」(三幅・絹本着色)が、大講堂に奉献されます。
涅槃図とは、お釈迦様のご臨終の御姿を表現したもので、
四方を沙羅双樹に囲まれた宝台に、
北を枕に横臥するお釈迦様を取り囲み、
悲嘆にくれる諸菩薩、仏弟子や眷属、鳥獣が描かれています。

法隆寺「大涅槃図」
中央の涅槃図は
579.3×455.7cm。
釈迦の主な事蹟を顕わした釈迦八相図は
右572.5×290.9cm、左570.5×290.8cm。

 
(堂外から失礼)

大講堂の本尊は平安時代の国宝の薬師三尊(薬師如来坐像、日光・月光菩薩像)なのですが、
この日だけは、大涅槃像を中央に、左右に八相成道絵像が内陣の手前に掛けられて、
本来の仏像はその後ろに隠れて正面からは全く見えなくなっていました。
この涅槃会の日だけ見ることの出来る涅槃図を、今回初めて見る事ができました。


南大門


行事予定

 
本坊

 
「法隆寺本坊」「聖徳宗宗務所」
  

中門

 
 吽 形 像        中門の仁王像        阿 形 像 
 「仁王像」は現存最古でしかも天平時代唯一の遺構

 
五重塔                             金堂

 
涅槃会の行われる大講堂

 
経蔵                                鐘楼


入堂の際の履物

堂内で法会の開式を待っていたので、本坊からの入堂の写真は撮れませんでした。


【舎利礼】
午後1時半、西院鐘楼の梵鐘がならされて、本坊を出発した僧たちが大講堂へ入堂(西側入り口から)してきます。
会奉行の合図で、唄、散華、梵音、錫杖の四箇法要がありました。
続いて、論議台(高座)の上に座った管長によって、釈迦の遺徳を讃え、法会の由来を述べる表白が奉読。
読経…、般若心経、舎利和讃「一身頂礼」…真言「南無釈迦牟尼仏 」唱和

式衆が退堂して本坊へ

 

  


入堂者には散華を頂くことができました。
散華を裏返すと、寺名の印影が三枚とも異なる?

 
散華裏の法隆寺名と「法隆寺印」と刻印された印影

  

散華裏の法隆寺名と「鵤寺倉印」と刻印された印影

 
散華裏の法隆寺名と「以龢為貴」と刻印された印影

「以和為貴(和を以て貴と為す)」
[龢(ワ、カ)]は「和」の本字。読みも意味も「和」と同じ
変化;龢⇒咊⇒和

光仁天皇宝亀2年(771)8月26日、法隆寺などの諸寺の印を鋳造して、それぞれの寺に頒布

*散華の印影について

大宝元年(701)官印が用いられるようになりましたが、
官印に準じた公印として神社、寺院にも印があります。
宝亀2年(771)初めて、法隆寺以下畿内の12諸寺の寺印を鋳造し、それぞれの寺に頒布のことがみえる。(e国宝より)
(薬師寺。東大寺。興福寺。新薬師寺。元興寺。法隆寺。弘福寺。四天王寺。崇福寺。法華寺。西隆寺。?)。

最古の印と言われている「法隆寺印」、「鵤寺倉印」は国立博物館・法隆寺宝物館に収蔵されています。
散華の印影はレプリカと思われます。
(以下、東京国立博物館データより)

「法隆寺印 重文 銅製鋳造 飛鳥時代 7世紀」
法隆寺印は、印面方形で周縁は欠損。印文の鋳出し深く、鈕は幅広の高い撥形。
印面の寸法、書体からみて諸国印の制に倣った。当時の官印を思わせる。
大和古印中古様を示すが、火中損しているのが惜しまれる。



「鵤寺倉印」は、印台が扁平で、印文の鋳出し浅く、鈕は切り込み浅い幅広の鶏頭鈕で低い。
寺伝は光仁天皇下賜とあるが、製作年代は下る。




御朱印「以和為貴」(於;聖霊院) 
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