パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

四天王寺・日想観(じつそうかん)

2015年03月22日 | 日記
3月21日、四天王寺の春季彼岸会中日で、初めて日想観法会に行ってきました。
極楽門の中央から西の石の鳥居の彼方に向かっての法要で、普段の如来、菩薩などご本尊に向かって法要と異なり、沈み行く太陽の彼方の「西方極楽浄土」に向かっての読経で、何か神秘的な感じがしました。
予めお寺で準備され、参詣者に配布された「日想観勤行儀」にしたがって進みました。単に、導師の読経に手を合わせ聴いているだけでなく、参詣者が自らも導師に続き、三禮、發願文、開經偈、般若心經、観經文、南無阿弥陀仏の念仏、念仏回向偈まで読経するのですから、導師の読み上げた「日想観法文」の「…既に日を見をはりなば 目を閉じ、目を開かむに これを日想とし 名けて初観という」の心境になります。僧侶から、皆様は「修行」ですからとの説明もありました。
何よりも清清しい気持ちになれたことに、僧侶から「修行中」なのでカメラ、携帯は控え、合掌、唱和して下さい、法要が終わった頃、鳥居の辺りに太陽が沈みますから存分に撮影してくださいとの要請が守られていたこと。仏力?


「日想観勤行儀」
(クリックすると拡大します)


「日想観法文」(クリックすると拡大します)

 




石の鳥居の彼方に沈み行く太陽


頂いた修行の証?


御朱印

そもそも「日想観」とは…おさらい
「日想観」は観無量寿経の一部です。
「観無量寿経」は、「浄土三部経」と呼ばれる浄土思想の大切なお経のひとつです。三部経の中では中くらいの長さで、「観経」とも呼ばれています。
日想観は沈む太陽に心を集中しながら、夕日のかなたにある「西方極楽浄土」を心に想い浮かべる修行で、これを修行すると極楽浄土に強い憧れを抱くようになるそうです。するとそのぶん現世に対する執着が小さくなり、執着が小さくなればなるほど、生きる上での苦しみや死への恐怖も小さくなると言う教えだそうです。(日輪を媒体として佛を観想する行儀で一種の瞑想法…)
その日想観を行うには、太陽が真東から昇り、真西に沈む彼岸の中日が最適とされました。この日は太陽が極楽浄土のある西方向にまっすぐ沈むからで、また一週間という期間は観無量寿経の、「七日間一心に修行すれば極楽浄土を見ることができる」からきたとされています。
大阪の四天王寺は日想観の修行場所として有名だったそうです。今は海から遠く離れた町中のお寺になり、鳥居の周辺にはビルが建ち、信じられないことですが、昔は四天王寺のすぐ下まで海が迫り、その西門は大阪湾にしずむ夕日を見るのに最適の場所になっていました。
そのため日想観を修行する人がここに集まり、春秋の彼岸は特に多く、この寺の西門(極楽門)が、極楽の東門に当たるといわれ、そのため極楽往生を求める人の中には、袂(たもと)に砂を入れて念仏を称えながら、夕日に向かって海に入る人もあったそうです。
今では明るい照明のため日が沈んでも気づかないことが多く、夕日を見ることもなくなってきた。ときには夕日を拝みながら極楽浄土を思い浮かべて心静かな時間を過ごしてみてはいかがだろうか。秋分の日(彼岸の中日)にもう一度参拝(修行?)に来てみたい。
導師の説明で、西日に向かって、手のひらを三角に オン アニチヤ ソワカ と真言を唱えました。(「太陽の真言」のようです)
東の空から昇る「ご来光」も力強い生命力を感じますが、沈む夕日も心洗われます。

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