パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

よく知っている言葉「以和為貴」

2022年03月14日 | 日記
「以和爲貴」言わずと知れた聖徳太子の「十七条憲法」第一条。
以前法隆寺の涅槃会で頂いた散華に押捺されていたのがこれです。




印には「以和爲貴」➪ 「以爲貴」と押されていました。

漢和辞典に掲載されていましたが「和」の「古字・異体字」と表記されただけの「」。
龢→和
漢和大字典の部首十七画に「龠」と字典の最終文字として掲載され
「ふえ」と読みがついています。

 ①名詞 ふえ ふえの一種。
         穴が三つで、合奏のときいろいろの楽器の音を調和するのに使う。
 ②名詞 ふえ ふえの総称。
 ③ 略


この部首をもつ文字として掲載されている字
「龠・龣・龡・龥・龢・鸙・・・」
どうやら「楽器」に関連した文字らしい・・・

「以和爲貴」正しくは「やわらぎをもってたっとしとなす」と読むらしい。

過日昼食に立ち寄った店(信貴山観光ホテル直営レストラン・ばんか)に置かれていたパンフレット

「龢 樂」

信貴山観光ホテルは「朝護孫子寺」の山内のホテル。
朝護孫子寺と言えば「聖徳太子」。
一七条憲法ゆかりの「龢」が用いられたのかも。



ちなみに、このお店のパンフレット「龢樂」に掲載されていた内容で
『冠山城を史実に仰ぎ・・・』とありましたが、冠山城って?
「大和郡山城」の別称だったとのこと。

通称・別名 冠山城、犬伏城、雁陣之城
所在地    奈良県大和郡山市城内町2-18
旧国名   大和国
分類・構造 輪郭式平山城
天守構造  型式不明[5重6階?/1583年築/焼失(火災)?]
築城主   郡山衆[雁陣之城]筒井順慶[郡山城]
築城年   応保2年(1162)[雁陣之城]、天正8年(1580)[郡山城]

通称・別名の由来

上田大和郡山市長によると
現代仮名遣いで「郡山」は「こおりやま」ですが昔は「かうり山」と書きやがて「かふり山」
さらには「かむり山」と変化するうち「かふり」や「かむり」に洒落で、「冠」の字を当てた
「冠山」がいつのころからか郡山の別称となり
郡山城も「冠山城」と呼ばれるようになったそうです。

西京丘陵南端
遠くから見ると丁度犬が伏せているように見える、犬伏岡(いぬふせノおか)の東端➪犬伏城

築城時期から見ると
1162年(応保2年)に、「郡山者件狼唳之輩張雁陣之城」(『東南院文章』)とある。
「狼唳之輩」とは郡山衆を指しており、雁陣の城を築いていると記載している。➪雁陣之城
この当時の城は盛り土と柵をめぐらした環濠集落のようなものであった。


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