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知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『三島文学(花ざかりの森・憂国・豊饒の海)で思い出すこと 1』—「豊饒の海」の終巻「天人五衰」末尾と16歳の小説「花ざかりの森」結末!ー

2022-11-23 09:08:41 | 読書

『三島文学(花ざかりの森・憂国・豊饒の海)で思い出すこと   1』

『「豊饒の海」の終巻「天人五衰」末尾と16歳の小説「花ざかりの森」結末!』

ウエブ情報から引用

年号変更もあり、気になった三島由紀夫氏を、この連休中(5月3日・憲法記念日)に、調べていました。 
ウエブ情報に次のようにありました。

 

『三島由紀夫の最後の長編小説は「豊饒の海」(1970年、45歳)となった。 この最終巻の「天人五衰」の末尾は16歳の初刊小説「花ざかりの森」の結末の「死に似た静謐」と全く同じと言える』。

 

この解説には、驚きました。 乱読ですが比較的、本は読むほうです。 三島由紀夫氏の作品では、表題の三作品だけです。 遺作の『豊饒の海』、処女作『花ざかりの森』、自作自演で映画化した『憂国』、凡人には、すごい作家が出てきたものだと、当時は思いました。 

 

特に『憂国』は、2.26事件に、新婚のため、仲間から決起に誘われなかった武山中尉が反乱軍の鎮圧を命ぜられ、国も友も裏切れず、中尉本人も新妻(本人の自刃を見届けてから)も自刃した内容です。 この映画を撮るためもあってか、三島本人はボディビルで、体を作っています。 これらが、三島事件のためでもあったのかと想像しています。

 

同氏の作品で『花ざかりの森・憂国・豊饒の海』だけしか読んでない自分にとっては、初刊小説『花ざかりの森』の前に、『酸模(すかんぽう)~秋彦の幼き思ひ出』(1938年、13歳)、彩絵硝子(だみえがらす)(1940年、15歳)の短編小説を発表しています。 やはり鬼才です。

 

前置きが長くなりました。

昔、お世話になった会社の海外事業部の部長が、三島由紀夫氏の熱烈なファンというより崇拝者でした。 この方のエピソードはたくさんあります。 自分の香港駐在時代に、あの事件(ウエブ情報)

 

三島事件(みしまじけん)は、1970年(昭和45年)1125日に、日本の作家・三島由紀夫氏が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に、割腹自殺をした事件(三島と同じ団体「楯の会」のメンバーも事件に参加)がありました。 

この事件で、この方は、号泣したと聞いています。 

 

この事件のとき、たまたま、ある通信社の香港事務所にお邪魔しておりました。 当時は、テレタイプ通信で、刻々と実況が連絡されるのに、呆気に、とられていました。 ただ当時、『花ざかりの森・憂国・豊饒の海』の三作品しか読んでいなかった自分でしたが、強烈なショックでした。

 

そのしばらく後に、この方が香港に、商用出張してまいりました。 晩の会食懇談中に、まず出た質問が『三島氏の作品は何か読んでいるかな!』でした。 誰も声を上げなかったので、自分が三作品を上げました。 

 

次の質問は『香港では制服を着ている子供たちがいるが、不思議だな、分かるかな?』でした。 これに対しても皆沈黙でした。 自分も沈黙でしたが、自分が想像したのは制服の『楯の会』関連で『国でない植民地の香港の子供たちの制服のこと』を言っていたと思いました。

 

三島由紀夫氏の『驚きの生涯と作品』については、これからも、調べていきたいと思っています。 

(記事投稿日:2019/05/03、最終更新日:2024/03/28、#096)


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