知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『同胞を敵から守り、勝つために工夫もするが、成功も失敗もあるのが武器』—永遠に、平和時に、使われているのが孔明の兵站戦線用の一輪車―

2020-04-07 08:19:54 | 兵器・戦争

『同胞を敵から守り、勝つために工夫もするが、成功

 も失敗もあるのが武器』

『永遠に、平和時に、使われているのが孔明の兵站戦線用の一輪車』

 

  『必要は発明の母』とか『窮すれば通ず』があります。 そのような格

 言通り、歴史上で創られたものがあります。

 

❶諸葛亮孔明の兵站戦線用の一輪車(2世紀)

 ウエブ情報(なんでも三国志)引用

  蜀が魏を攻める際に、道が険しく、食糧の輸送に四苦八苦しており、それをスムーズにできるように発明した物。 蜀は、今の四川盆地にあり、中原の魏を征服するのが念願でしたが、『守るによし』の蜀は、中原への遠征には『蜀道の険』という難所があります。

 

ウエブ情報(蜀の桟道の画像)引用

 『蜀道の険』とは漢中から成都への桟道の事を指す。 李白『「蜀道の難は、青天に上るよりも難かし」と歌ったほどの難所』であった。  中でも、垂直に切り立った岩肌に取り付く蜀の桟道は、現在は観光名所(四川省広元市朝天区 明月峡、陝西省漢中市勉県 石門桟道など)として知られる。 日本人ならば『隧道・洞門・覆道』等の代案を考えたかもしれません。

 中国の歴史上の人物で、凄いと思える人の一人が諸葛亮孔明ですが、劉備に仕え、劉備にその後継者にと見込まれても断り、二番手を貫いた人物です。 結局、司馬遷の子孫で、粘り強かった司馬懿仲達の『蜀の兵站戦線の弱点』を徹底的についた作戦が実り、諸葛孔明の第5次に及ぶ北伐・中原進出はなりませんでした。 しかし『一輪車(中国名 木牛流馬)』現代までも残りました。

 

現代でも伝わり使われている『一輪車ネコ』
ウエブ情報(一輪車ネコの画像)引用

 このルーツが諸葛亮孔明の一輪車にあったのに驚きます。 小さいころに、工事現場よく見た、一輪車、いまでも現役です。 この一輪車、「ネコ」や「猫車」と呼ばれているそうです。 その由来は諸説ありますが、有力視されているのが建設現場にあります。 板を渡しただけの幅の狭い足場のことを『ネコ足場』や『キャットウォーク』と呼んでいますが、ここを通るための一輪車をネコと呼んだのではないかという説です。

 

❷数メートルの厚さの城壁を攻める攻城砲・ウルバン砲(15世紀)

 この砲は、オスマン帝国が1453年のコンスタンティノープル攻略戦で使用した大砲「ウルバンの巨砲」とも呼ばれる。 名前は開発者である15世紀のハンガリー人ウルバンに因む。 ウルバンは当初東ローマ帝国側に大砲を売り込んだが、拒絶された(しかも牢獄に送られた)ためにオスマン帝国に与したと言われている。 

ウエブ情報(ウキペディア)より引用

 このウルバン砲に纏わる逸話を二つ、

●『わたしがあなたからほしいものは、ただ一つ。 あの街をください』
ビザンチンの歴史家ドュカスが伝えるオスマントルコの若き皇帝メフメト2世が、大宰相カリル・パシャ(後に粛清してしまう)に、父ムラト2世がとった融和共存策をかなぐり捨てて、ビザンチン(東ローマ)帝国首都コンスタンティノープル(=あの街)征服を決行することを伝える台詞です(塩野七生『サイレント・マイノリティ』より)。 この皇帝は、コンスタンティノープルを三度攻めて、1453年、三度目の正直で落城させています。

● このウルバン砲は、2回目に使われたときは、1807年のイギリス・オスマン戦争中の、作戦名『ダーダネルス作戦』に因み、『ダーダネルス砲』と呼ばれました。 三百数十年後に使用可能な青銅製の巨砲、または製造ができたことが脅威です。

 

❸パンジャンドラム(20世紀)

 20世紀フォックス制作の『史上最大の作戦(The Longest Day)』 で有名な、ノルマンディー上陸作戦(Invasion of Normandy、連合軍130万余 vsドイツ軍38万)は、第二次世界大戦中の1944年6月6日に連合軍によって行われたドイツ占領下の北西ヨーロッパへの侵攻作戦。 正式作戦名「ネプチューン作戦」(Normandy landings)。 なお上陸からパリ解放までの作戦全体の正式名称はオーヴァーロード作戦(Operation Overlord)。 

 この作戦には、ユニークな陸上地雷『パンジャンドラム』が開発、製造され、投入されています。 パンジャンドラム((The Great) Panjandrum)とは、第二次世界大戦中にイギリス軍で開発が行われていたロケット推進式の陸上地雷です。 これは陸上地雷というより、陸上走行爆弾と呼ぶ方が、合っているかと思います。

 約1.8トンの炸薬を詰めた本体を直径3mの車輪で挿んだボビン状の構造。車輪のリムに装着された多数の固形燃料ロケットモーターを一斉に噴射させることによって車輪を回転させて走行する。つまり、ロケットによって直接推進力を発生させるのではなく、あくまでも車輪と地面の摩擦抵抗によって前進する。これは海岸の砂地のような場所では、車輪がただ空回りする事になるのは自明の構造であり、根本的な欠陥であった。 また、簡易化のため方向を安定させるジャイロスコープなどは一切装備されておらず、これも後に致命的な欠陥となった。 ユニークな発明ですが、実戦、フランス海岸のドイツ軍の陣地破壊には役立たなかったようです。 
  (20200406纏め #153)


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