『風化させてはいけないこと 1(苦海浄土-わが水俣病 3)』
「現在でも環境問題を考える上でしばしば言及されるロングセラーとなっており、レイチェル・カーソン『沈黙の春』の「日本版」にも例えられる」
『210922日経の春秋から、写真家ユージン・スミスのモノクロ「智子の入浴」』
ウエブ情報から引用
表題の「智子の入浴」の写真、、ウェブでは見つけましたが、ブログに載せるなどとてもできません。 ウェブ情報ですが、『Atsuhiko.Sano氏のはてなブログ』の情報から 抜粋・引用させていただきました。
『大学の講義の最初に、環境ビジネスを考える上で最も重要なビジネスの功罪という視点から、公害問題の典型例、これで全てが語れるようなものをと考えた。 かなり悩んだ上で、ユージン・スミスの著名な写真である「智子の入浴」を選んだ。 最初に、あの写真を見たのは何年前だろう。 まだ、環境問題に関わる前だったと思う。
水俣病のことを本で読んで関心を持った時に、出会った一枚の絵である。 10代半ばの水俣病の智子さんが母と一緒に入浴している写真である。 まだ若くこれからなのに、自分ひとりで入浴もできない、その子を大切にいつくしみながら入浴させる母親の優しい横顔。 忘れることができない写真であった。
今回、この写真を学生に紹介しようと考えて、いくつかの新しいことが分かった。 まず、最初に、この写真がもうほとんど入手困難になっているということが分かった。 それは、次のようなことらしい、ユージン・スミス夫人が、智子の関係者と面談した折、「智子さんの写真は、多くの人たちに水俣病の本質を理解するのに役立ったでしょ。 そろそろ家族に返してもらえないか」と相談を受けたことが原因らしい。
そこで夫人は、この写真の著作権を全て御家族にお渡ししたということらしい。
だから、最近出版された水俣病の写真集等にも掲載されていないとのことであった。 もうひとつ、これは、小生が知らなかっただけであるが、大変な衝撃を受ける事実がわかった。 写真家のユージン・スミスさんは、既に他界されている。
そのことは知っていたが、その原因が、水俣病の集団交渉を写真撮影しているときに、関係者から暴行を受け、その傷がもとでの死亡であったということ。
しかも、スミスさんは、写真をとることを重視し、大きな騒動にしたくないとの理由から、傷害事件としての訴えを一切しなかったということ。 これはショックであった。 彼の写真がなければ、これほどまでに水俣病の悲劇が世界に知ることとはならなかったであろうことを考えると、非常に感慨深いものがある。』と、ありました。
表題の『210922日経の春秋から、写真家ユージン・スミスのモノクロ「智子の入浴」』に戻ります。 石牟礼道子著『苦海浄土-わが水俣病』という本は、普通の神経の持ち主は、相当の覚悟で読み始めいと読み切れませんが、多くの方々にお読み頂けたらと祈念しております。 ここで、日経新聞の春秋の情報の抜粋・引用です。
『ユージン・スミスという米国生まれの写真家をご存じだろうか。 妻とともに熊本県水俣市に移り住み、公害病の実相を世界に伝えるモノクロの写真集を1975年に出版した。 発病したわが子を抱きかかえ、入浴させる親の姿を広角レンズで切り取った一枚が胸に迫る。
写真集の巻頭に、「過去の誤りをもって、未来に絶望しない人々に捧げる」との一文がある。 第二次世界大戦の激戦地にも赴いたカメラマンの人生観が凝縮されている。 彼の生涯を描いた映画「MINAMATA-みなまたー」があす、公開される。 主役を演じるのはハリウッドを代表する俳優ジョニー・デップである。
話題作の公開に先立ち、いくつかのミニシアターが、公害病の記録映画を上映している。 土本典昭監督の「水俣一揆 一生を問う人びと」などだ。 この作品のもう一人の主役は、患者らと直接対面し、補償交渉を重ねた原因企業チッソの当時の島田賢一社長だ。 「社長さん、あんたそれでも人間か」との問いに言葉を失う。
「島田氏を含め、すべての死者たちへの鎮魂の思いは深い」。 石牟礼道子さんの、「苦海浄土 全三部」の一節だ。 個人としては十分に補償したいが、国家財政の問題になるだろう。 病床で葛藤する島田氏の口述筆記も本書に収めた。 公害病の公式確認から65年。 今も患者認定の訴訟が続く。 新作の公開を機に事実を学びたい。』
繰り返しになりますが、石牟礼道子著『苦海浄土-わが水俣病』という本は、普通の神経の持ち主は、相当の覚悟で読み始めないと読み切れませんが、多くの人々、政府・行政・マスコミ・マスメディアの皆様にはお読み頂き、さらには、発信して頂けたらと祈念しております。
(20210923纏め、#395)
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