小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

自分の研究授業にあえて「余白」をつくる

2017-11-06 22:55:04 | 教師力UPの攻略法
もうすぐ私は研究授業をします。
校内研修の一環です。
4年生で算数をします。
それに先駆けて、事前研修として「模擬授業」をしました。
先生たちを子ども役にした形の模擬授業です。

自分は研修主任をしていることもあり、この研修の充実を、どの先生にもためになる時間をと、考えているところです。
それで、この模擬授業に際して、指導案を作るなどの準備もしたのですが、あえて、授業に「余白」を多く作りました。
ここでいう余白とは、
・まだ内容が定まっていない
・まだ方々を迷っている
・ちょっと無茶なことをしようとしていて不安定
みたいな部分のことです。
こんな部分をたくさん含んだままの授業を、先生たち向けにやりました。
すると、私のねらい通りに、先生たちがいろいろとつっこんできました。
「ここはおはじきを実際に操作させた方がいいんじゃない?」
「子どもの考えの、AとBを扱うな順序を逆にしたら…」
「ここは前時の学習内容を掲示しておいて、それを振り返らせる形にしてみては?」
「そこはスクリーンに映し出すべきでしょ~」
余白が多いためにいろんな観点から意見が出て、騒々しいまとまりのない模擬授業になりましたが、いいんです。
何の結論も出ず、授業者の私としては「振り回された」みたいな感じですが、何よりそれが「楽しかった」から、いいんです。
ベテランの先生も、若手も、理科専科の先生も、特別支援の先生も、みんな意見
していました。
なんか、私がする授業なんだけど、いつの間にか、みんなでする授業みたいな感じになっていました。
それがうれしかったです。

「余白が多い模擬授業」
参加した先生たちにとったら、
「頼りない授業者だな!」
って思われたかもしれませんね。
だから、本番ではちょっと見返してやるつもりで、ちゃんとやらないと。笑
できるかな。笑

4年生「ごんぎつね」授業のラスト「結局、この物語のメッセージとは」

2017-11-05 07:54:46 | 授業中の攻略法
4年生「ごんぎつね」の授業の中で、いろんなことをテーマにしながら問いを立て、子どもたちと一緒に考えてきました。
期待通り、面白い授業となり、私的には満足しています。
こんな授業では、一種の逆転現象が起きることがあり、そのときは痛快な気分ですね。
Aと考えていた子が、友だちの思わぬ考えに触れてBという考えに変わるとき、友だちと学ぶことの価値やありがたさを感じます。

さて、この学習の最後として
「結局、この物語を通してあなたが最も強く受け取ったメッセージは、何でしたか?」
という問いを投げかけました。
「受け止め方は十人十色。一人一人違いがあっていいんですよ」
という言葉を添えて。
この問いを受けて、もう教科書は開かない子たち。
もうこれまでに何度も見てきたから大丈夫ということでしょうか。

これまでを振り返り、自分なりに咀嚼して飲み込むような表情を見せています。
少し時間をおいたら、ちらほらとえんぴつが動き出しました。
いくつか紹介します。

・人は勘違いしやすいものだから、ちゃんと伝えなきゃいけない
・間違いをやってしまっても、努力をするば取り戻せる
・ひとりぼっちほど、悲しいことはない
・素直になることって本当は難しい
・だれかとつながってこそ、幸せになれる
・相手の本当の気持ちを探ってあげよう
・悲劇で死んでしまったごんを忘れず、みんなは生き続けてほしい

4年生なりの感受性が伺えます。
いろんな観点から考えているので、甲乙も付けがたいところですが、子どもたちに伝えたとおり、それぞれの受け止め方で、ここはオープンエンドでいいのかなと思い、授業を終えました。

4年生「ごんぎつね」クラスの子たちに二極化現象?

2017-11-04 06:23:40 | 授業中の攻略法
4年生「ごんぎつね」に、私も子どもたちも結構はまっています。
私も初めて感じていますが、これはかなり奥が深い、味わい深い読み物ですね。
子どもたちの関心にそっていろんな問いを立て、みんなで考える授業をしています。
そういった学習を繰り返していくうちに、子どもたちの面白い特徴が一つ現れだしました。

・自分の考えにこだわり続ける子
・逆に、自分の考えをよく変える子
というのが、どちらも固定化していくという特徴です。
例えば、「こだわり続ける子」として、どんな問いに対しても、その答えの拠り所として「ごんは強烈にひとりぼっち」というのを結びつける子がいました。
ごんの行動をいろいろと検討するのですが、そこの答えに、「ひとりぼっち」をもっていくのです。
この子はこの物語を読む際には、どの場面を読むにしろ、その視点をぶらすそとなく、一貫して読むことのできる子なのでしょう。
同時に、他の子の考えに触れて、そっちに流れる、もしくは影響を受けて考え直す、というような姿勢はないようです。

そして、それとは逆に、どんな問いに対しても、友だちの意見を聞くたびに、よく考えを変える子も固定化していっています。
これは、自分の考えにまだ自信がないともとれるし、柔軟に他者の意見を取り入れることができる子とも言えそうです。

単純に、頑固な子とそうでない子みたいなことではないように思います。
それよりは、この物語への思い入れとか登場人物への感情移入の仕方、そして「自分の生活経験」というのが関わっているように思います。

そうなると、この子たち自身もひょっとしたら新たな発見をしているのかもしれません。
「あ、ぼくってこんなやつなんだ」
みたいな。
ごんを見つめる学習を通して、自分を見つめ直している。
少し大げさですが、そんな一面があるとすれば、この読み物に触れたことにはものすごく貴重ないみがあったと言えるでしょう。