今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

弘法山 遍照院(愛知県知立市弘法町弘法山)

2020年10月14日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月11日

弘法山 遍照院
知立神社休憩所に置いてあったパンフレットを見て近くにある寺ということで立ち寄った
山門横の駐車場で基礎知識を得るためスマホにて検索したが理解するまでには至らなかった

「山門」



旅の初日で足跡を記録するだけではなく、良い写真をとの思いがあったのかローアングルになっている(笑)



扁額には院号の「遍照院(へんじょういん)」



案内板の必要部分を切り取る









石碑「念ずれば花ひらく」



いい言葉だと思い調べてみた
(仏教詩人 坂村真民)
 苦しいとき
 母がいつも口にしていた
 このことばを
 わたしはいつのころからか
 となえるようになった
 そうしてそのたび
 わたしの花がふしぎと
 ひとつひとつ
 ひらいていった

釋昇空法話集・第34話によると
「念ずれば、花ひらく」
それは、自分の願いが実現することではなく、仏の願いが実現することと説いている



「厄除大師」
境内には多くの弘法大師の石像が安置されている



大師像の頭上には龍が描かれている



「慈水大師」



「御線香供場」



「本堂」
寺伝によれば、弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)は、関東巡錫の途中にこの地に約1か月滞在
3体の自像を彫り、このうち一体を本尊(秘佛)として遍照院が創建された



本堂扁額「見返大師」



本堂前の可愛い石仏



「西国観音霊場(お砂踏み霊場)」



「子育弘法大師」






「奥の院」
空海が彫った三体の座像の中、一番根本で刻まれた大きな御像が別れを惜しんで、やや右を向いて振り返っておられる御姿であるということから、見返弘法大師と呼ばれている



その姿を模したと思われる大師像



不気味な感じもするが魅力もある



奥の院から本堂へ



「鐘楼堂」



撮影 令和2年9月11日
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知立神社(愛知県知立市西町神田)

2020年10月13日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月11日

知立神社<別名:池鯉鮒(ちりゅう)大明神>
重文の多宝塔拝観が目的であったが、調べてみると千年以上の歴史を持つ三河国二宮
三河国一宮は、愛知県豊川市にある砥鹿神社(とがじんじゃ)

「大鳥居」



「知立神社由緒」
社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願
平定後の帰途に感謝して建国祖神の4柱を祀ったのが創建という



「祖風歌碑」
井村祖風の句碑 『行戻り小川に暮る小鴨可南(かな)』



「手水舎」



多宝塔(重要文化財)



社伝では、嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁が神宮寺を建立した際に2層の塔を建立



現在の遺構は室町時代後期の永正6年(1509年)重原城主山岡伝兵衛によって再建されたもの



廃仏毀釈を生き延びた神社における仏塔は全国的にも数少ない
塔の前が参拝者駐車場になっていて、車が入り込まないようにするのに苦労した



「千人塔」



「石橋(知立市指定文化財)」



江戸時代の享保17年(1732年)の造営の花崗岩製の太鼓橋
鯉が眼病を患った長者の娘の身代わりになったという「片目の鯉」の伝説地でもある



長者の家に信心深く気立ての優しい娘がいたが、或る時から目を患い、病篤くあわや失明という容態になってしまった
両親は深く心配し、娘の目が良くなるようにと、池鯉鮒大明神のご神前に通い、お祈りをした



二十一日目の満願の日、突如娘の目がはっきり見えるようになった
目が見えるようになった娘は、父母とともに、お礼参りに神社を訪れた
境内にある御手洗池をのぞき込んだ時「池の鯉がみんな片目になっている」ことに驚いた



拝殿・幣殿・本殿(国登録有形文化財)
別名「池鯉鮒(ちりゅう)大明神」
江戸時代東海道三社(他は三嶋大社・熱田神宮)の一つに加えられた名社



現在の主要社殿は、江戸時代後期から昭和にかけての造営



社殿配置は「尾張造」と呼ばれるもので、本殿・幣殿・祭文殿・回廊・拝殿を縦長に接続する






「儀式殿」



「社務所」



「神楽殿」



「末社 秋葉社」



「神馬」



「絵馬」



「末社 小山天神社」



「末社 合祀殿」



摂社 親母神社 (うばがみしゃ)(国登録有形文化財)
祭神:豊玉姫命
一間社流造で朱塗で彩られ、屋根は檜皮葺



左から「親母神社」「合祀殿」「小山天神社」



愛車と多宝塔



旅の初日に、このように形が良く美しい多宝塔に出会えると思ってもいなかった



撮影 令和2年9月11日
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熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区神宮)

2020年10月12日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月11日

熱田神宮
フェリーで名古屋港に着岸。何故かいつも天気に恵まれず、この日も神宮へ向かう途中に突然の豪雨となり駐車場でしばらく待機していた
H25以来(この時も台風が上陸)の参拝となるため、案内板にて境内の確認をする



「東門 鳥居」
東門鳥居近くにある神宮の無料駐車場を利用した



小雨になったので行動を開始する
緑の木々に囲まれ、約6万坪の境内を持つ参道を歩いていると、ここが大都市名古屋の中心部であることを忘れさせてくれる



「別宮 八剣宮(はっけんぐう)」



前回訪れた時、気になった場所の八剣宮を最初に訪れた
他の社とは違い、警備員の監視の目が厳しく、写真を撮ることさえも制限されそうな感じだったからだ



神宮のHPによると
元明天皇 和銅元年(708)9月9日に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて、祀ったことが創祀との歴史を持つ



武家の信仰が殊に篤く、天正3年 織田信長は長篠に出兵の際社殿の修造を命じ
慶長4年 家康は拝殿・回廊・築地の修造を、貞享3年 将軍綱吉は本殿の造替を行った等の記録が残っている



個人的には本宮拝殿より八剣宮の凜とした雰囲気の方が気に入っている



「摂社 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)」
商売繁盛・家内安全を願う(初えびす)、又知恵の文殊様として合格祈願の絵馬奉納など篤く信仰されている



「末社 事代主社(ことしろぬししゃ)」



「正門 第一鳥居」
駐車場の関係で東門から入ったが、南門が正門となる



鎮守の森を歩く。コロナの影響なのか参拝者の姿が極端に少ない






「末社 楠之御前社(くすのみまえしゃ)」



俗に「子安の神」「お楠さま」と呼ばれ、種々の病気を治し、殊に安産の神としての信仰が厚い
小鳥居に干支や氏名を書いて奉献すると願い事が成就するといわれている



「摂社 南新宮社」



「京都祇園まつり」で有名な八坂神社のご祭神と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀っている



神宮唯一の丹塗りの社殿



「末社 徹社(とおすのやしろ)」
天照大神の和魂(にぎみたま)を御祭神に祀る
神様には荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされ、和魂は慈しみ加護してくださる神とされる



「二十五丁橋」
板石が25枚並んでいるところからこの名がついており、名古屋では最古の石橋



「手水舎」



「献酒」
地酒の種類の多さに驚く。最近では直会という言葉も聞かなくなった



「大楠」



樹齢は約千年、弘法大師のお手植えと伝えられる



「東八百萬神社」



「西八百萬神社」



「祈祷殿・長床」
車祓と熱田大神様に祈りを捧げる特別な参拝場所



「外玉垣御門(拝殿)」
本宮の拝所は外玉垣御門(とのたまがきごもん)の前で、この御門と四尋殿(よじんでん)を併せ拝殿と称し、東西翼廊を付設している



三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りになっている



拝殿より御垣内を拝すると、一番奥に最も高く千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の見える社殿が「本殿」で、熱田大神はここに鎮まっている



熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まる
第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられた
尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられて以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめた



「こころの小径」
拝殿の左手にある小径を歩く



「摂社 一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)」



祭神 天照大神荒魂(あまてらすおおかみあらみたま) 荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である



本殿の真裏にあたる場所



「末社 清水社(しみずしゃ)」
社殿の奥に水が湧いていることから、俗に「お清水さま」と呼ばれ、その水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を洗えば肌がきれいになるという信仰がある



「お清水」
以前来たときには若い女性で賑わっていたこの場所も、今は誰もいない



湧き水の中にある苔むした石は楊貴妃の石塔の一部との説もある



「摂社 御田神社(みたじんじゃ)」
五穀豊穰の守護神。この社の祈年・新嘗の両祭に奉る神饌(神様へのお供えもの)はまず烏に食べさせる信仰が残っている
祭員がホーホーと烏を呼びながら、御供(ごく)を土用殿の屋根の上に投げ上げる(烏喰の儀)
昔は烏が飛んできてそれを食べなければ、祭典が行われなかったといわれている



「土用殿」



もと、草薙神剣を奉安した御殿で、旧本殿の東に相並んで鎮座していた



永正14年(1517)将軍足利義稙の造営と伝え、天文11年(1542)修造されている



「ならずの梅」
奇木で花は咲くが一度も実をつけたことがないので「不実梅(ならずのうめ)」と名付けられていた



「斎館・勅使館」
斎館とは神職が祭典神事に先立って先籠し、潔斎する建物のこと
皇室からの勅使をお迎えするのが勅使館で、勅使専用の斎室を備えている



「神楽殿」
初宮参り・安産・厄除け・家内安全などのご祈祷を奉仕する社殿



「絵馬」



「熱田の宝刀」



撮影 令和2年9月11日
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2020秋 放浪の旅 24日目<最終日>(兵庫県)

2020年10月04日 | 旅日記
2020秋 放浪の旅日記 24日目<10/4最終日>(兵庫県)
道の駅・海の駅「みき」
昨日、鶴林寺で解説してくれたボランティアの男性から「浄土寺」を薦められた
過去に訪れた事があり巨大な仏像に驚いたことを思いだし気持ちが動いた
次に訪れる予定の寺院が「舞鶴港」に近く、突然だが本日で旅を終えることにした

浄土寺
駐車場に近づくにつれ前回の失敗した記憶がよみがえってきた

浄土堂(国宝)
堂内には仏師快慶作 国宝の「阿弥陀三尊」が安置されている
建物と堂内の仏像が国宝というのは兵庫県ではここだけと聞いた



堂内は現在でもこの壁一面の小さな窓からの自然光による照明のみ
夕陽が射すと堂内は朱色に輝き極楽浄土の世界が広がるとの説明があった



「鐘楼(兵庫県指定文化財)」



薬師堂(重要文化財)







「開山堂」



朝光寺
国宝の本堂があるということで訪れたが、この仁王門を探すのに30分以上も要した



「仁王像」



本堂(国宝)
週末にボランティアの解説者がいるようで、説明をお願いした



同じ世代の男性なので話が弾み居心地がよかった



鐘楼(重要文化財)



「多宝塔(兵庫県指定文化財)」



境内には石仏がたくさんあり、このような可愛いのもある



帰ろうと仁王門に近づくと舞踏家らしき人が舞っていた



「つくばねの滝」



滝の名の由来となった「つくばねの葉(天然記念物)」



石龕寺



仁王像(重要文化財)
仁王像の寺と云われているらしい



この仁王像、撮る側としてはかなり苦労してこの程度



「毘沙門堂」






奥の院があるようだが往復2kmの山道を上る気力はもう残っていなかった



撮影 令和2年10月4日
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2020秋 放浪の旅 23日目(兵庫県)

2020年10月03日 | 旅日記
2020秋 放浪の旅日記 23日目<10/3>(兵庫県)
道の駅・海の駅「あいおい白龍城」
車を駐めている場所の2~3m後ろは海。海の駅との記載もある
早朝、車から出てみると良い風景が目に入ってくる



斑鳩寺
最初に訪れたのが何年前になるか忘れたが、今回が2度目となる



「仁王門」の奥に数台の車が駐まっている。嫌な予感がする



「仁王像」



三重塔(重要文化財)
以前訪れた時は天気が良く陽射しが強すぎで上手く撮れなかったという残念な思いがあった



今日は「骨董市」が開催されるようで、その準備中であった
しかも、塔の一番良い場所に車があり、今日も残念な思いが残った






姫路城
姫路城の近くを車で通過したことがあり遠くから眺めたことは3度ほどある
朝起きて今日は何故か「姫路城」に行きたいと思った



初めてなので案内板や周囲の観光客の動きを観察しながら行動することにした
多くの人がカメラを構えている場所がここだった






入城料の1000円は少し高い感じもするがどんな感じなのか入ってみる



なるほど、金を払うといいアングルから撮れる(笑)



天守を目指して城内に入る。これまで訪れた国宝の城よりもはるかに規模が違う



大工が木材をどこに配置するか、刻んだ文字で示している柱が残されている



当時から残っている大柱。地下から伸びていて27mの長さがあるそうだ



最上階には「刑部大神」



「瓦と漆喰」の構造。下から見ると白く見えるから不思議



最も新しい屋根。確かに真っ白に見える



播州皿屋敷の怪談で知られる「お菊井戸」 知らなかった



「西の丸」へ向かう途中で、撮影スポットのマークがあった
確かにここが一番良い場所かも知れない



ソーシャル何とかよりも「間合いをとる」ほうが日本人にはわかりやすい



西の丸内に300mもある「百間廊下」の最後に「千姫と化粧櫓」がある



油断していると忍者に攻められた
私の母方の姓は「伊賀」負けるわけにはいかない



「黒田官兵衛の石垣」



随願寺
姫路で複数の重文の堂宇を持つ寺院を発見した。姫路城からも6km弱

開山堂(重要文化財)



榊原忠次墓所唐門(重要文化財)



本堂(重要文化財)



本堂外陣の「天井画」



経堂(重要文化財)



鐘楼(重要文化財)



自然環境に恵まれた山の中腹にある寺院。詳細は後日

鶴林寺
最後は鶴林寺。駐車場は満車状態
駐車場の花を撮ってみた



「仁王門」



「仁王像」



「三重塔(兵庫県指定文化財)」



「新薬師堂」の薬師如来



このお堂では薬師如来よりも人気の「ウィンクする仏像」



本堂(国宝)



太子堂(国宝)



撮影 令和2年10月3日
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2020秋 放浪の旅 23日目(兵庫県)

2020年10月03日 | 旅日記
2020秋 放浪の旅日記 23日目<10/3>(兵庫県)
道の駅・海の駅「あいおい白龍城」
車を駐めている場所の2~3m後ろは海。海の駅との記載もある
早朝、車から出てみると良い風景が目に入ってくる



斑鳩寺
最初に訪れたのが何年前になるか忘れたが、今回が2度目となる



「仁王門」の奥に数台の車が駐まっている。嫌な予感がする



「仁王像」



三重塔(重要文化財)
以前訪れた時は天気が良く陽射しが強すぎで上手く撮れなかったという残念な思いがあった



今日は「骨董市」が開催されるようで、その準備中であった
しかも、塔の一番良い場所に車があり、今日も残念な思いが残った






姫路城
姫路城の近くを車で通過したことがあり遠くから眺めたことは3度ほどある
朝起きて今日は何故か「姫路城」に行きたいと思った



初めてなので案内板や周囲の観光客の動きを観察しながら行動することにした
多くの人がカメラを構えている場所がここだった






入城料の1000円は少し高い感じもするがどんな感じなのか入ってみる



なるほど、金を払うといいアングルから撮れる(笑)



天守を目指して城内に入る。これまで訪れた国宝の城よりもはるかに規模が違う



大工が木材をどこに配置するか、刻んだ文字で示している柱が残されている



当時から残っている大柱。地下から伸びていて27mの長さがあるそうだ



最上階には「刑部大神」



「瓦と漆喰」の構造。下から見ると白く見えるから不思議



最も新しい屋根。確かに真っ白に見える



播州皿屋敷の怪談で知られる「お菊井戸」 知らなかった



「西の丸」へ向かう途中で、撮影スポットのマークがあった
確かにここが一番良い場所かも知れない



ソーシャル何とかよりも「間合いをとる」ほうが日本人にはわかりやすい



西の丸内に300mもある「百間廊下」の最後に「千姫と化粧櫓」がある



油断していると忍者に攻められた
私の母方の姓は「伊賀」負けるわけにはいかない



「黒田官兵衛の石垣」



随願寺
姫路で複数の重文の堂宇を持つ寺院を発見した。姫路城からも6km弱

開山堂(重要文化財)



榊原忠次墓所唐門(重要文化財)



本堂(重要文化財)



本堂外陣の「天井画」



経堂(重要文化財)



鐘楼(重要文化財)



自然環境に恵まれた山の中腹にある寺院。詳細は後日

鶴林寺
最後は鶴林寺。駐車場は満車状態
駐車場の花を撮ってみた



「仁王門」



「仁王像」



「三重塔(兵庫県指定文化財)」



「新薬師堂」の薬師如来



このお堂では薬師如来よりも人気の「ウィンクする仏像」



本堂(国宝)



太子堂(国宝)



撮影 令和2年10月3日
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2020秋 放浪の旅 22日目(岡山県)

2020年10月02日 | 旅日記
2020秋 放浪の旅日記 22日目<10/2>(岡山県)
道の駅「みやま公園」
道の駅を早めに出発したが、岡山市内に近づくにつれ渋滞が始まった
最初予定していた「真光寺」には車の入り方がわからずに直ぐに断念、次の目的地に向かった



旧閑谷学校
詳細はわからないが、一度訪れてみたいと思っていた場所だった
簡単に云うと、江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校



受付門の正面には「聖廟」 最も重要な施設で孔子像が安置されている
受付の方のアドバイスで最初に資料館で知識を身につけた方がいいとのこと



資料館を目指し歩いている右手に国宝の「講堂」



(左側にある)かまぼこ型の「石塀」は昔から草が生えない工夫がされているという



「資料館(登録有形文化財)」では民法で放映された番組が流れていて、これがとても参考になる



資料館には同世代の女性がいた。北九州から車中泊で旅をしているそうだ
共通の話題もあり少しの時間楽しく会話することができた



講堂(国宝)
基礎知識があるとないとでは大違い、廊下から内部を覗いてみる



光り輝いている床は、屋根に使われている備前焼の瓦プラスある工夫のおかげで、週に一回の清掃で維持できているという



女子中学生に、これから講義が行われると聞いたので座り終わるまで外で待機した
講義を聴いてもいいと許可をいただいたのと写真は後ろ姿だけともいわれた



家庭や学校で良く躾られている女の子たちだと感じていたが、受付の男性も同じ思いでいたことを後に話してくれた
講義の内容は「論語」の学而の部分であるが、なにか凄さを感じた
「如」についてどれだけ理解できただろうか



「備前焼の瓦」



「石塀」は全長700mほど



「講堂」



「公門」



受付の男性からのお薦めの場所を歩く、写真では表現できないが違った世界を歩いているようだった



歩いた奥には「椿山」



女子中学生の昼食風景。周囲には課外学習の小学生



「絆池の鯉」 男性が鯉の名前を呼ぶと一匹の鯉が側により撫でられるところ
男性曰く、コロナの影響で観光バスは1週間に1台しかこなくなった。今日は久し振りのバスだという



撮影 令和2年10月2日
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2020秋 放浪の旅 21日目(岡山県)

2020年10月01日 | 旅日記
2020秋 放浪の旅日記 21日目<10/1>(岡山県)
道の駅「くめなん」
初めて利用する道の駅で山中の交通量の多い道路横にある
夜に雨が降ったのか地面が濡れていた。道の駅の裏側には朝霧が降り幻想的な風景であった



吉備津神社
備中国一宮。平日の午前中にもかかわらず参拝者が多い



初めての参拝なので様子もわからない



北随神門(重要文化財)



さらに石段が続く



拝殿(国宝)
石段を上がると目の前に拝殿があらわれる



御釜殿(重要文化財)
中に入ると釜でお湯をわかしていた。神事に使われるようだ



本殿(国宝)
足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定






拝殿と本殿



備中国分寺
本日の塔巡りのたびの最初は、遠くからでも存在感抜群の「五重塔(重要文化財)」



柄にもなく、コスモスと五重塔



正面から



「客殿」



「勅使門」



「本堂」






宝福寺
駐車場の関係で最初に目に飛び込んできたのが本命の三重塔

三重塔(重要文化財)
青空と緑の木々に囲まれ、光にも恵まれ、久々に綺麗に撮ることができた






境内には大小の個性的な石仏が点在している






「方丈」



雪舟は、少年時代ここで修行を行った。幼少より絵が上手であった雪舟のエピソードとして鼠の絵の話が残されている(後日)



「鐘楼(岡山県指定文化財)」



「仏殿」



「仏殿の天井画」



遍照院
倉敷市内にある



三重塔(重要文化財)
本日最後の塔は何と万国旗で飾られている
塔の前には寺が経営していると思われる幼稚園のグランドがある。運動会の準備か



天気にも恵まれ最高の塔巡りとなった



境内に入る



「大師堂」






撮影 令和2年10月1日
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