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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

大神山神社奥宮(鳥取県西伯郡大山町大山)

2018年01月08日 | 神社・仏閣
大神山神社奥宮
大山寺の本堂横に大神山(おおがみやま)神社奥宮へ続く参道がある



もともとは天台宗の寺院(中門院、南光院、西明院)を総称して「伯耆大山寺」と呼ばれていた
明治8年の神仏分離政策により、大神山神社へと名称が変えられた



吉持地蔵
江戸中期、吉持甚右衛門の寄進。自然石に刻まれた地蔵



立体感を表現するための工夫が為されているなと考えながら呼吸を整える



石畳
昭和初期に自然石を使って造られた。
この敷き詰められた石が不揃いで、私の歩幅に合わず苦労した



鳥居が見えたが社殿の気配はない



御神水
延命長寿との記載があったので、一口飲んでみた



奥宮神門(後ろ向き門)
県指定有形文化財。元大山寺西楽院の表門を移設



明治8年、神社に引き渡された際にそのまま移転したので「後ろ向き」になったといわれている



ということはこちらが正面になる。人との比較で大きな門だということがわかると思う



狛犬
最近好んで撮るようになったのが狛犬






拝殿らしきものが視界に入ってくる。この最後の階段が長く感じてしまう。衰えたものだ



拝殿(重要文化財)
奥宮は、大山に登った修験者が、海抜900mほどの場所に簡易な遥拝所を設置したのが起源とされる
日本最大級の権現造り。正面の長廊は、両翼約50m。



写真では人物は写っていないが、大山登山を終えた人が帰りに立ち寄り参拝している

奥宮幣殿内(重要文化財)の拝観もできると云うので申し込む
神社内に初めて入ったが、柱や壁、天井画に至るまで豪華絢爛、別世界に入り込んだような感じだった。良い経験をした



拝殿の彫刻も素晴らしい






左回りに周辺を歩いてみる

下山神社(重要文化財)
津和野藩主、亀井公の寄進









弁財天社



奥宮 本殿(重要文化財)






苦手な石畳、多くの登山者に追い越される度、安全第一とつぶやき坂を下りる



賽の河原












参道に戻る。石仏に見守れながら無事駐車場へ
途中、入浴施設があることもわかり次回来たときのための参考にしようと思った



撮影 平成29年9月30日
コメント (2)
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角磐山 大山寺(鳥取県西伯郡大山町大山)

2018年01月07日 | 神社・仏閣
大山寺(だいせんじ)
大山寺は二度目になる。途中の道路も整備されていて不安なく目的地周辺に着いたが、駐車場は満車
路上駐車も延々と続きUターンするまで数キロ先まで走った

山門(仁王門)
スキー場の駐車場に駐め、坂道を1kmほど歩くと山門が見えてくる
受付所も兼ねていて、参拝志納金300円を納める



当時はここに着くまで心身の疲労もあり、さらにこの門が仁王門とも知らず仁王像の確認ができなかった事に悔いが残ってしまった



手水舎
柱が朱色ということも、鉢の形も珍しい



下山観音堂
本尊の十一面観音菩薩(重要文化財)は「霊賓閣」に安置されている



灯明地蔵と灯明杉



日本海を航行する船が難航の折、この杉の頂から、一大尖光を発し、方向を変えたために何を逃れたといわれる霊木



護摩堂



「護摩堂」の額



本尊不動明王のもとで、天台密教の修法「護摩」をたく



階段を上がると本堂に出る。始めに周辺の写真を撮る






宝牛






この日は週末の土曜日、天気もいい。駐車場の状況から参拝者も多いと思っていたが、境内にはその姿が見あたらない



いったい何処に潜んでいるのだろう。不思議な感じがした



鐘楼(登録有形文化財)



この鐘は自由に撞くことができるので、私も力を込めて撞いてみた



本堂(登録有形文化財)
養老2年(718年)に俊方(金蓮上人)によって開かれたとされる



兜率天の角が欠けて大きな盤石が三つに割れて地上に落ちてきた
その一つは熊野山になり、二つは金峰山になり、三つは大山になった



山号の「角磐山(かくばんさん)」はここからきている
昔は山岳修行者が入り、現在は「山ガール」が登山を楽しんでいる



内陣の様子。昭和26年に再建されたもの



本尊は地蔵菩薩



賓頭盧尊者像
病人が患部と同じところをなでると病気が治るという。頭を病んでいる人が多いようだ



この後、大神山神社奥宮に向かう。その帰りに撮った山門だが、降りるのを躊躇するほど膝にきている



信濃坊源盛の碑



大山寺には重要文化財の「阿弥陀堂」と可能ならば阿弥陀三尊像、宝物館「霊賓閣」で仏像を拝観する目的できた
阿弥陀堂は修復中、霊賓閣は閉館中と願いは叶わなかったが、次回訪れるきっかけができた

撮影 平成29年9月30日
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打吹山 長谷寺(鳥取県倉吉市仲ノ町)

2018年01月06日 | 神社・仏閣
長谷寺
長谷寺と名の付く寺を訪れるのは今回で4寺目になる。ここは鳥取県倉吉市
駐車場は街中の道路沿いにあるが、そこから山に向かい苦手な坂道を歩くことになる



しばらく坂を上ると、山号・寺名が刻まれた石柱門。まだ先は長い



地蔵堂
左手に地蔵堂。扉を開けることはできない



さらに、石段が続く



「南無不動明王」と書いてあるので不動堂か。草が生い茂っていて近寄ることすらできない



息が切れ、疲れてきた頃に、懸造の建物が見えてきた



鐘楼
梵鐘 は1393年の銘、鳥取県保護文化財



地蔵堂



仁王門
江戸時代、延宝8年(1680年)建立、間口三間、奥行二間、八脚門、入母屋造。鳥取県保護文化財
朽ち果てそうな建物に歴史の流れを感じる



仁王像
阿吽2体、延宝4年(1676年)の作。ガードが固すぎて写真を撮るにも、これが限界



本堂
桃山時代(16世紀末頃)の建立、五間堂、寄棟造、懸造。鳥取県保護文化財
寺伝によれば、奈良時代の養老5年(721年)、法道を開山として創建されたという



手水鉢



寺名「長谷寺」の額。読みであるが「はせでら」「ちょうこくじ」とこれまで二つあった
ネットで検索してもこの寺はどちらなのかよくわからない
その昔、長谷(ながたに)村から、現在地に移転したようだ



本堂外陣。所狭しといろいろな物が置かれている。絵馬が有名らしい



本尊は倉吉市指定有形文化財の「木造十一面観音菩薩坐像(秘仏)」



本堂内厨子(重要文化財)
格子の中から内陣を覗いてみる



弘法大師像



境内を少し歩いてみる



賓頭盧尊者像
赤佛と書かれていた



伝教大師像(最澄)
空海は内陣、最澄は屋外。天台宗寺院のはずだが、この差はいったい何だろう



千手観音のような感じもするが…



懸造の本堂



緑に囲まれた本堂を後に駐車場へ戻る。9月末の気候とは思えないほど外は暑い



撮影 平成29年9月30日
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倭文神社(鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内)

2018年01月03日 | 神社・仏閣
倭文(しとり)神社
この周辺は何度も車で走っていたが、この神社の存在を知らなかった
ナビに神社名を入れようとしたが、恥ずかしながら漢字を読むことができなかった
旧社格である「國幣小社 倭文神社」と彫られている



鳥居
歴史を感じる鳥居で期待が高まる



「伯耆一ノ宮倭文神社」の額



随神門
神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐという門だけに恐る恐る近づく



彫刻が素晴らしくしばらく眺めていた









参道が続く



史跡 伯耆一ノ宮経塚
参道から整備されていない細い坂道を5分ほど歩く
境内山林にあり、祭神である下照姫命の墓と言い伝えられてきた
大正4年、経塚の中から平安時代初期の銅経筒を始め仏像、銅鏡、るり玉などが発掘された



この辺りからの出土品全てが国宝に指定されていると知ったので訪れたが、現在は東京国立博物館に保存されているという



「掘った跡かな」と思われる場所があった。といっても100年程前のことなので確かではない



手水舎






拝殿
社伝によると大国主命の娘、下照姫命が出雲から海路着船
従者と共に現社地に住居を定め、安産の指導、農業開発、医薬の普及に尽くしたという



狛犬
拝殿で祈祷が行われていたので、終わるまで狛犬とにらめっこ



最近、好んで狛犬を撮っている



腰高の狛犬。色々なポーズがあるようだが、阿吽の呼吸だけは共通



主祭神は建葉槌命。倭文(しづおり)という織物を司っていた倭文部の祖神
社名ともなっている倭文とは麻などの繊維を赤青の原色で染め、乱れ模様に織ったもの



撮影 平成29年9月30日
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白兎神社(鳥取県鳥取市白兎)

2018年01月02日 | 神社・仏閣
白兎(はくと)神社
道の駅「神話の里白うさぎ」には5度ほどお世話になっているが、晴れた朝を迎えるのは初めて
白兎神社の参道は道の駅に接している。いつも強い雨に阻まれていたが、参拝できたのは今回が初めてとなる

大国主と八上姫神との婚姻を取り持ったことから縁結びの神として信仰される



整備された参道を上る



樹叢に囲まれた鳥居が見える。まだ、先がありそうだ



御手洗池
「不増不減の池」との記載。この池は、旱天・豪雨の時でも水位の増減がないとされている



古事記の中で、白兎神が傷口を洗ったという池、「水門」(みなと)である



手水舎
草木に覆われている手水舎も趣がある



拝殿
道の駅から写真を撮りながら10分ほど要した



「古事記」の一節である神話「因幡の白兎」に登場する白兎神を祀る事から、日本医療発祥、また大国主命と八上姫との縁を取りもった日本最古の恋物語の地として知られる由緒をもつ



注連縄は、出雲神社の注連縄と同じ「飯南町しめ縄クラブ」よって制作され、平成26年12月20日に奉納された






菊座石






本殿
大社造変形(明治29年に建立、平成24年に改修)



この本殿を支える土台石に菊の紋章が彫られていて、皇室と何らかの関係があったと云われている



私には何故か吉凶を占う習慣がない
その分、ギャンブル好きなので吉凶は毎日のように体験している



社殿を斜めから。この日は朝から日差しが強くデジカメの頭脳も困惑していた



木陰から



参道に置かれているウサギ



全部違ったポーズをとり、参拝者の目を楽しませてくれる



帰りは下り坂。火野正平ではないが「人生、下り坂最高」。遠くに日本海が見える



「大国さまと白うさぎ」は道の駅にある



白兎海岸
周辺には想像をかきたてる神話の舞台が残っており、「白兎の神跡」と称されている

西端に突出した岬が気多之前で、白兎神が負傷して上陸したという岬
気多之前から北方150メートル沖合にある神話の島が淤岐之島、白兎神が流れついた島とされている



撮影 平成29年9月30日
コメント (3)
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