今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

思い出の情景 その1

2015年10月04日 | 車中泊
平成26年度、秋の車中泊による車旅の思い出の情景である

1 金蓮寺弥陀堂(国宝)
金蓮寺(こんれんじ)は愛知県西尾市吉良町にある。台風の影響を受ける前になんとかたどり着くことができた

 

愛知県内最古の木造建造物
文治2年(1186)に源頼朝が三河国守護の安達藤九郎盛長に命じて建立した三河七御堂の一つと伝えられている
途中から風雨が強まりほとんどが雨宿りに費やされた。連休であったが観光客は私一人



2 新撰組 近藤 勇 首塚
台風19号上陸の避難場所として、道の駅「藤川宿」を選択
そこで手に入れたパンフにより法蔵寺(愛知県岡崎市本宿町)を知った
寺伝によれば大宝(701年)行基によって創建されたという古刹
家康が幼少時代にこの寺で読み書きを習った。その境内で偶然発見した

近藤勇は35歳で処刑され、首は三条大橋にさらされたが同志が持ち出した
生前近藤が敬慕していた孫空義天和尚に埋葬を依頼することにした
その半年前に法蔵寺の住職として転任していたので、この地に運ばれた



当時は世間をはばかり石碑も土で覆い無縁仏のようになっていた
昭和33年の調査結果により埋葬の由来が明らかになり現在のような形で供養されている



3 永保寺での老人との出逢い
土門拳の写真「無際橋」に影響され永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町)を訪れたのがこれで3回目
そこで不思議な魅力をもつ老人と出逢う
国宝の観音堂を撮っていると、すっと老人が近寄ってきて、この建物を詳細に説明してくれた



その後、国宝の開山堂に行くとその老人が絵を描いていた
私が何枚も写真を撮っていると「こんな白い空を撮ってどうする」
「土門先生はじっくり考えて撮っていた」と。
「土門先生って、土門拳のことですか」と私。 ここから二人の長い話しが続く…



この老人は若いときに陶芸家の道を歩んでいた
荒川豊蔵の下で数十年間働いていたと話してくれた
その師匠が彫った石碑が永保寺にあると、そこまで案内してくれた



石碑の後ろに「斗出庵」と彫られていた
この時は斗出庵(荒川豊蔵)という人物が、人間国宝だということを理解していなかった
荒川豊蔵(志野焼)の作品を土門拳が撮影していた現場を見ていたと話してくれた



4 杉原千畝記念館
道の駅「可児ッテ」から遠くない場所に記念館(岐阜県加茂郡八百津町)があった
シンドラーよりもっと凄い「杉原千畝」という人物が日本にいたことに興味をもっていた



第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に杉原は赴任していた
ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情
外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる



館内では教育関係の団体に館長が説明していたのを側で聞くことができた
その団体に加わり研修室でイスラエル人職員から説明を受けることも許されたが、その内容の多くは胸に迫るものがあり感動した

コメント (2)
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