松岡山 東慶寺(東慶総持禅寺)
弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創
江戸時代には幕府寺社奉行も承認する「縁切寺」として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていた
山門
封建時代、女性の側から離婚できなかった時代に、この山門内に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできた。
さだまさしの「縁切寺」の歌詞の2番にこの山門がでてくる
ちょうどこの寺の山門前で きみは突然に泣き出して
お願いここだけは 止してあなたとの
糸がもし切れたなら生きていけない あの日誰かに頼んで撮った
一枚切りの一緒の写真 納めに来ました縁切寺
時代が変わり今は男性が
鐘楼
東慶寺の梵鐘は観応元(1350)年の補陀落寺のもの
茶室「寒雲亭」
千宗旦筆の「寒雲」の扁額
本堂(泰平殿)
昭和10(1935)年に建立。春にはしだれ桜が花をつける
美しい宝形造の屋根を誇る
本堂の内部
本尊の釈迦如来坐像を祀る
境内の歩道に置かれている小さな仏様だが、存在感は十分
この寺では四季折々の花が咲いている
花の知識などまったくないが、寺に咲く花も撮っていくことにした
この寺では花にカメラを向けている人の数が多い。私も仲間入りができた
墓地
後醍醐天皇皇女 用堂女王墓
文化人の墓が多いことでも有名
和辻哲郎の墓
鈴木大拙の墓
檀家の墓地には、西田幾多郎、岩波茂雄、安倍能成、小林秀雄、高木惣吉、田村俊子、真杉静枝、高見順、三枝博音、三上次男、東畑精一、谷川徹三、野上弥生子、前田青邨、 川田順などがある。
松ヶ岡宝蔵
東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館
入館目的は、木造聖観音立像(重要文化財)であったが仏像は一体のみ
さだまさし作詞作曲の「縁切寺」は若い頃好きな曲のひとつであり、この寺との縁を感じた
この日は時間的余裕がなく1時間で3寺を廻ることに。この寺には10分ほど滞在、最後の寺に急ぎ向かう
撮影 平成27年10月9日
弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創
江戸時代には幕府寺社奉行も承認する「縁切寺」として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていた
山門
封建時代、女性の側から離婚できなかった時代に、この山門内に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできた。
さだまさしの「縁切寺」の歌詞の2番にこの山門がでてくる
ちょうどこの寺の山門前で きみは突然に泣き出して
お願いここだけは 止してあなたとの
糸がもし切れたなら生きていけない あの日誰かに頼んで撮った
一枚切りの一緒の写真 納めに来ました縁切寺
時代が変わり今は男性が
鐘楼
東慶寺の梵鐘は観応元(1350)年の補陀落寺のもの
茶室「寒雲亭」
千宗旦筆の「寒雲」の扁額
本堂(泰平殿)
昭和10(1935)年に建立。春にはしだれ桜が花をつける
美しい宝形造の屋根を誇る
本堂の内部
本尊の釈迦如来坐像を祀る
境内の歩道に置かれている小さな仏様だが、存在感は十分
この寺では四季折々の花が咲いている
花の知識などまったくないが、寺に咲く花も撮っていくことにした
この寺では花にカメラを向けている人の数が多い。私も仲間入りができた
墓地
後醍醐天皇皇女 用堂女王墓
文化人の墓が多いことでも有名
和辻哲郎の墓
鈴木大拙の墓
檀家の墓地には、西田幾多郎、岩波茂雄、安倍能成、小林秀雄、高木惣吉、田村俊子、真杉静枝、高見順、三枝博音、三上次男、東畑精一、谷川徹三、野上弥生子、前田青邨、 川田順などがある。
松ヶ岡宝蔵
東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館
入館目的は、木造聖観音立像(重要文化財)であったが仏像は一体のみ
さだまさし作詞作曲の「縁切寺」は若い頃好きな曲のひとつであり、この寺との縁を感じた
この日は時間的余裕がなく1時間で3寺を廻ることに。この寺には10分ほど滞在、最後の寺に急ぎ向かう
撮影 平成27年10月9日