訪問日 令和6年10月2日
一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)
上野国一宮 創立は社伝によると、現在の社地に社を定めた安閑天皇の元年(531年)とされている
大鳥居
今回が2度目の参拝になるが、帰り際に遠くにあるこの鳥居の存在を知った

総門(惣門)
大鳥居と総門は同じ高さにあるという

駐車場から歩いてくると、この場所にでる


銅製燈籠(富岡市指定文化財)

狛犬


くだり参道
社殿配置は独特で、本殿が境内入り口よりも低い位置にある
正面参道から石段を上がり大鳥居・総門をくぐると、今度は石段を下ってから本殿に参拝することとなる

このような配置の神社は「下り宮」・「下り参りの宮」と呼ばれている

末社 月読神社
楼門への石段の横に鎮座する
社殿は寛永12年(1635年)以前の本社の旧拝殿で、牛王堂として使用されていた

斎館

楼門(重要文化財)
江戸幕府第3代将軍徳川家光による寛永12年(1635年)の造営

社務所

手水舎

拝殿(重要文化財)
江戸幕府第3代将軍徳川家光による寛永12年(1635年)の造営
元禄11年(1698年)、第5代綱吉による大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった

入母屋造り、平入、檜皮葺き、正面は唐破風二重重縁、周囲は腰高窓が廻らされている


若い頃は極彩色は好みではなかったが、年齢が増すとその良さが理解できるようになった

拝殿内部


本殿(重要文化財)
単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである
内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられ、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている

祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)、姫大神(ひめおおかみ)

入母屋造り、妻入り、檜皮葺き。寛永12年(1635年)三代将軍徳川家光の命によって建てられた

摂社 抜鉾若御子神社(ぬきほこわかみこじんじゃ)

神楽殿


参拝を終え駐車場に戻る

珍しい「下り参り」の経験は貴重だ

撮影 令和6年10月2日
一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)
上野国一宮 創立は社伝によると、現在の社地に社を定めた安閑天皇の元年(531年)とされている
大鳥居
今回が2度目の参拝になるが、帰り際に遠くにあるこの鳥居の存在を知った

総門(惣門)
大鳥居と総門は同じ高さにあるという

駐車場から歩いてくると、この場所にでる


銅製燈籠(富岡市指定文化財)

狛犬


くだり参道
社殿配置は独特で、本殿が境内入り口よりも低い位置にある
正面参道から石段を上がり大鳥居・総門をくぐると、今度は石段を下ってから本殿に参拝することとなる

このような配置の神社は「下り宮」・「下り参りの宮」と呼ばれている

末社 月読神社
楼門への石段の横に鎮座する
社殿は寛永12年(1635年)以前の本社の旧拝殿で、牛王堂として使用されていた

斎館

楼門(重要文化財)
江戸幕府第3代将軍徳川家光による寛永12年(1635年)の造営

社務所

手水舎

拝殿(重要文化財)
江戸幕府第3代将軍徳川家光による寛永12年(1635年)の造営
元禄11年(1698年)、第5代綱吉による大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった

入母屋造り、平入、檜皮葺き、正面は唐破風二重重縁、周囲は腰高窓が廻らされている


若い頃は極彩色は好みではなかったが、年齢が増すとその良さが理解できるようになった

拝殿内部


本殿(重要文化財)
単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである
内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられ、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている

祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)、姫大神(ひめおおかみ)

入母屋造り、妻入り、檜皮葺き。寛永12年(1635年)三代将軍徳川家光の命によって建てられた

摂社 抜鉾若御子神社(ぬきほこわかみこじんじゃ)

神楽殿


参拝を終え駐車場に戻る

珍しい「下り参り」の経験は貴重だ

撮影 令和6年10月2日
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