訪問日 令和6年10月6日
靈巖山 圓藏禪寺(別称:柳津虚空蔵、福満虚空蔵)
臨済宗妙心寺派の寺院
日本三虚空蔵のひとつに数えられる
霊宝殿
初めて訪れる寺院で、駐車場から歩いた順で写真を掲載していく


傷病者慰霊碑
国民の義務として従軍し敵弾に傷つき病に倒れたが、障害を克服して生き抜いてきた傷病軍人の碑

水子地蔵尊

人形塚

庫裏


箒(ほうき)杉

慈母観世音菩薩



鐘楼

赤べこ発祥の地
赤べこ発祥の伝説
1611年の大地震で柳津も大被害を受け、虚空藏堂をはじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出た
本堂再建に使われた大材は、只見川を利用して運ばれたが、ここから巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れた
大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空藏堂を建てることができたのだ

大撫牛
赤毛の牛の群れはなぜか虚空藏堂の完成を待たずにいずこへともなく姿を消した
牛に感謝の気持ちと、ねぎらいをこめて建立されたのが開運「撫牛」であり、赤毛の牛を「赤べこ」と呼んだ
忍耐と力強さが伝わり、さらには福を運ぶ「赤べこ」として多くの人々に親しまれるようになった

水殿(手水舎)

中を覗くと不動明王像


菊光堂
大同2年(807年)法相宗徳一大師によって開創されたと伝えられている
本尊:福満虚空藏菩薩(伝 空海作)

日本三大虚空藏菩薩
能満虚空藏菩薩 千光山 清澄寺 (千葉県鴨川市清澄)
大満虚空藏菩薩 村松山 日髙寺 (茨城県那珂郡東海村)
福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺 (福島県河沼郡柳津町)

扁額には「福満(ふくまん)」
*福を満たし、恵みを与えるという意味
菊光堂の外壁には同じ文字の奉納額が掛けられている

蟇股の彫刻をよく見ると、片手で額を支えている


堂内は撮影禁止
本尊の福満虚空藏菩薩は巨大で圧倒される

菊光堂欄干からの眺め
眼下の川は只見川

良寛もこの地を訪れている

奥の院に向かうため階段を下りる
建物の右は「仁王門」左が「菊光堂」

菊光堂は写真のように崖の上に建てられている

商店街の道を500m程歩くと、奥の院「國寶 辨天堂」の石柱が見えてくる

奥之院弁天堂(重要文化財)
階段の上に見える弁天堂は独特の雰囲気があり美しい

室町中期で禅宗様式を示す代表的な建造物

額の「辨天堂」の文字も歴史を感じる

宝形造りの茅ぶき屋根の三間堂
茅ぶき屋根のそりがゆるやかな洗練された建物

本尊に弁財天を祀っているため弁天堂と呼ばれている


釈迦堂

仁王門
仁王門に戻る

仁王像
各寺院で仁王像だけは自由に撮ることができるが、金網などの障害物が悩ましい
青っぽく霞んで見えるのが金網だ

つま先立ちになり片手で撮ったり、周囲から見ると「変なお爺さん」だ
実際これまで二度ほど警察官から職務質問を受け記録されたことがある(汗)



仁王像は地域毎に分類して発信しているが、持ち玉が増えて嬉しい

撮影 令和6年10月6日
靈巖山 圓藏禪寺(別称:柳津虚空蔵、福満虚空蔵)
臨済宗妙心寺派の寺院
日本三虚空蔵のひとつに数えられる
霊宝殿
初めて訪れる寺院で、駐車場から歩いた順で写真を掲載していく


傷病者慰霊碑
国民の義務として従軍し敵弾に傷つき病に倒れたが、障害を克服して生き抜いてきた傷病軍人の碑

水子地蔵尊

人形塚

庫裏


箒(ほうき)杉

慈母観世音菩薩



鐘楼

赤べこ発祥の地
赤べこ発祥の伝説
1611年の大地震で柳津も大被害を受け、虚空藏堂をはじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出た
本堂再建に使われた大材は、只見川を利用して運ばれたが、ここから巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れた
大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空藏堂を建てることができたのだ

大撫牛
赤毛の牛の群れはなぜか虚空藏堂の完成を待たずにいずこへともなく姿を消した
牛に感謝の気持ちと、ねぎらいをこめて建立されたのが開運「撫牛」であり、赤毛の牛を「赤べこ」と呼んだ
忍耐と力強さが伝わり、さらには福を運ぶ「赤べこ」として多くの人々に親しまれるようになった

水殿(手水舎)

中を覗くと不動明王像


菊光堂
大同2年(807年)法相宗徳一大師によって開創されたと伝えられている
本尊:福満虚空藏菩薩(伝 空海作)

日本三大虚空藏菩薩
能満虚空藏菩薩 千光山 清澄寺 (千葉県鴨川市清澄)
大満虚空藏菩薩 村松山 日髙寺 (茨城県那珂郡東海村)
福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺 (福島県河沼郡柳津町)

扁額には「福満(ふくまん)」
*福を満たし、恵みを与えるという意味
菊光堂の外壁には同じ文字の奉納額が掛けられている

蟇股の彫刻をよく見ると、片手で額を支えている


堂内は撮影禁止
本尊の福満虚空藏菩薩は巨大で圧倒される

菊光堂欄干からの眺め
眼下の川は只見川

良寛もこの地を訪れている

奥の院に向かうため階段を下りる
建物の右は「仁王門」左が「菊光堂」

菊光堂は写真のように崖の上に建てられている

商店街の道を500m程歩くと、奥の院「國寶 辨天堂」の石柱が見えてくる

奥之院弁天堂(重要文化財)
階段の上に見える弁天堂は独特の雰囲気があり美しい

室町中期で禅宗様式を示す代表的な建造物

額の「辨天堂」の文字も歴史を感じる

宝形造りの茅ぶき屋根の三間堂
茅ぶき屋根のそりがゆるやかな洗練された建物

本尊に弁財天を祀っているため弁天堂と呼ばれている


釈迦堂

仁王門
仁王門に戻る

仁王像
各寺院で仁王像だけは自由に撮ることができるが、金網などの障害物が悩ましい
青っぽく霞んで見えるのが金網だ

つま先立ちになり片手で撮ったり、周囲から見ると「変なお爺さん」だ
実際これまで二度ほど警察官から職務質問を受け記録されたことがある(汗)



仁王像は地域毎に分類して発信しているが、持ち玉が増えて嬉しい

撮影 令和6年10月6日