訪問日 令和6年10月3日
史跡 足利学校
日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は国の史跡に指定されている

この日の朝までその存在すら知らずにいた
道の駅で訪問地を検索していたところ「足利学校」の名がでてきた
岡山県の「閑谷学校」の印象が良かったこともあり、興味が湧いた

入徳門
「入徳」とは「徳に入る」という意味で、道徳心を習得する所、すなわち学校に入るという意味
扁額「入徳」は、紀州徳川家第11代藩主 徳川斉順(なりゆき)の書

参観料:480円を払うと「入学おめでとうございます」と言われた(面白い)
休憩所でDVDにより足利学校の概要を把握し移動する
休憩所内のジオラマ


「恕」の額

孔子像
道徳心を習得する所だけに、孔子はこの後に何度も出てくる

学校門
日本で唯一の「学校」の額が掛けられた門
寛年8年(1668年)に建てられ、足利学校のシンボルとして今日まで受け継がれてきた

「学校」という言葉は、「孟子」の中にある言葉
扁額の文字は、明の書家 蒋竜渓の書を縮小したもの

杏壇門
孔子廟の門が杏壇門(きょうだんもん)

扁額「杏壇」は、紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝(はるとみ)の書
「杏壇」は、孔子が学問を講じた場所、つまり学問所や講堂を指す
孔子の講壇の周囲に杏の木が植えられていたことから、転じて「学問所」を意味するようになった

孔子廟(聖廟)
孔子を祀っている

建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668年)に造営された

扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王の王子で、京都知恩院門跡「尊超法親王(そんちょうほっしんのう)の書

孔子坐像(栃木県指定文化財)
孔子の坐している姿は珍しいという

天保2年(1832年)渡辺崋山によって像の胎内銘が発見され、天文4年(1535年)に彫刻、納められたことが明らかになっている

小野篁公(おののたかむらこう)像(足利市指定文化財)
古くから『足利学校は小野篁の創建なり…』と伝えられるので創始者として祀られたとされる

南庭園

方丈


宥坐之器
「宥坐之器(ゆうざのき)」とは、常に身近に置いて戒めとする器のこと

欹器図(ききず)
空の時に傾き、ちょうど良い時に正しく、満ちると覆る
この器は、謙虚さや過不足のない状態(中庸)を象徴し、自己戒めとして用いられてきた

誰もいない時に試してみたが実に面白く、回数を重ねてしまった

方丈内に入る
この「杏壇」の額は、明治の大火で黒焦げになったもの

扁額「学校」は、新しい門に掛けるには大き過ぎたため、縮小して現在の門に掛けた

上杉憲実像


曝書

江戸時代からの伝統行事で、足利の秋の風物詩となっているとのこと

秋の天気の良い日に虫干し、点検を実施
虫食いやシミ、糸切れなどないか、保存状態を確認している

北庭園

孔子像

衆寮(しゅりょう)
僧房または学生寮


木小屋
薪や農具などの置き場のほか、漬物などの食料品を保管した建物

土蔵
大切なものを格納する耐火建築として建てられた
周囲は漆喰仕上げで屋根は栗板の柿葺き

庠主の墓(しょうしゅのはか)
室町時代、関東管領上杉憲実は、鎌倉円覚寺から僧 快元を招いて初代の庠主(校長)とし、足利学校の経営にあたらせた
明治元年までの430年間に23代の庠主が在任、このうち17人の歴代庠主の墓がある

元足利学校代官 茂木家累代の墓


遺蹟図書館
足利学校伝来の書籍の保存を目的としている



子貢がたずねた「たった一言で、一生かけて信条にできる言葉がございますか」
先生がいわれた「それは、恕(思いやり)だね。自分がいやなことはひとに押しつけないことだ」

撮影 令和6年10月3日
史跡 足利学校
日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は国の史跡に指定されている

この日の朝までその存在すら知らずにいた
道の駅で訪問地を検索していたところ「足利学校」の名がでてきた
岡山県の「閑谷学校」の印象が良かったこともあり、興味が湧いた

入徳門
「入徳」とは「徳に入る」という意味で、道徳心を習得する所、すなわち学校に入るという意味
扁額「入徳」は、紀州徳川家第11代藩主 徳川斉順(なりゆき)の書

参観料:480円を払うと「入学おめでとうございます」と言われた(面白い)
休憩所でDVDにより足利学校の概要を把握し移動する
休憩所内のジオラマ


「恕」の額

孔子像
道徳心を習得する所だけに、孔子はこの後に何度も出てくる

学校門
日本で唯一の「学校」の額が掛けられた門
寛年8年(1668年)に建てられ、足利学校のシンボルとして今日まで受け継がれてきた

「学校」という言葉は、「孟子」の中にある言葉
扁額の文字は、明の書家 蒋竜渓の書を縮小したもの

杏壇門
孔子廟の門が杏壇門(きょうだんもん)

扁額「杏壇」は、紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝(はるとみ)の書
「杏壇」は、孔子が学問を講じた場所、つまり学問所や講堂を指す
孔子の講壇の周囲に杏の木が植えられていたことから、転じて「学問所」を意味するようになった

孔子廟(聖廟)
孔子を祀っている

建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668年)に造営された

扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王の王子で、京都知恩院門跡「尊超法親王(そんちょうほっしんのう)の書

孔子坐像(栃木県指定文化財)
孔子の坐している姿は珍しいという

天保2年(1832年)渡辺崋山によって像の胎内銘が発見され、天文4年(1535年)に彫刻、納められたことが明らかになっている

小野篁公(おののたかむらこう)像(足利市指定文化財)
古くから『足利学校は小野篁の創建なり…』と伝えられるので創始者として祀られたとされる

南庭園

方丈


宥坐之器
「宥坐之器(ゆうざのき)」とは、常に身近に置いて戒めとする器のこと

欹器図(ききず)
空の時に傾き、ちょうど良い時に正しく、満ちると覆る
この器は、謙虚さや過不足のない状態(中庸)を象徴し、自己戒めとして用いられてきた

誰もいない時に試してみたが実に面白く、回数を重ねてしまった

方丈内に入る
この「杏壇」の額は、明治の大火で黒焦げになったもの

扁額「学校」は、新しい門に掛けるには大き過ぎたため、縮小して現在の門に掛けた

上杉憲実像


曝書

江戸時代からの伝統行事で、足利の秋の風物詩となっているとのこと

秋の天気の良い日に虫干し、点検を実施
虫食いやシミ、糸切れなどないか、保存状態を確認している

北庭園

孔子像

衆寮(しゅりょう)
僧房または学生寮


木小屋
薪や農具などの置き場のほか、漬物などの食料品を保管した建物

土蔵
大切なものを格納する耐火建築として建てられた
周囲は漆喰仕上げで屋根は栗板の柿葺き

庠主の墓(しょうしゅのはか)
室町時代、関東管領上杉憲実は、鎌倉円覚寺から僧 快元を招いて初代の庠主(校長)とし、足利学校の経営にあたらせた
明治元年までの430年間に23代の庠主が在任、このうち17人の歴代庠主の墓がある

元足利学校代官 茂木家累代の墓


遺蹟図書館
足利学校伝来の書籍の保存を目的としている



子貢がたずねた「たった一言で、一生かけて信条にできる言葉がございますか」
先生がいわれた「それは、恕(思いやり)だね。自分がいやなことはひとに押しつけないことだ」

撮影 令和6年10月3日